ども。sassyです。
タイトルの通り、先日の日曜は駅伝大会だった。僕も学区代表チームの一員として参加したわけだが・・・あまりにも想定外の内容で、ドキドキバクバクの経験をさせていただくことになった。個人レースのレポートは書き慣れているが、大勢のチームメイトや関係者のいる駅伝となると、どう書いていいやら迷っていたのだが、まぁ書かないでいるほうが気持ち悪いので、とりあえず書いてみようと思う。

宮古島は陸上競技に熱い島である。多分、沖縄県がそうなんだと思う。駅伝大会も多数あり、県内14地区の選抜チームで二日間に渡って走る、沖縄一周駅伝が最高峰。この選抜チームに選ばれることは、非常にに名誉なことなのだ。沖縄版箱根駅伝といった様相である。今回の学区対抗駅伝は、その縮小版的な感じで、宮古島市内14学区で、小学生から一般までのチームを作って競う。男子の部と女子の部があるのだが、うちの学区は女子チームを編成できなかったこともあり、今回は男子の部の話とさせていただく。

チーム編成は、小学生2名、中学生2名、高校生・一般7名。11区間、39kmを走る。ここまで、久松学区が4連覇中。人口も多く、移住者も多く、選手層も厚い。実業団クラスの選手や、エリート高校生を含む。対して我が福嶺学区は、ここ2年ほど欠場。なにせこちらは過疎地で、層が薄い。そして、運営者である学区の「体協」が、うまく機能していないため、選手集めがうまくいかないのである。僕も過去2回ほどこの大会に呼ばれて参加したが、一回目は、「タイムはどうでもいいからね、タスキが最後までつながればいいさ。あとでみんなでお酒飲もうねー」みたいな感じ。実際、そんな感じの結果に終わった。翌年は、チーム編成に必要な人数が集まらず、僕の次の区間で、タスキが止まって終わり。正直、ゴールできないとわかっている大会を走るのは、気が乗らなかった。打ち上げに行く気にもなれなかった。

この学区対抗駅伝、強豪学区が大いに盛り上がっているのは知っていたが、うちの学区は前述の通りで、僕としては蚊帳の外という認識であった。だから今年、体協メンバーが刷新して、「今年からは駅伝も真剣に取り組むから、選手に選ばれたときにはよろしく」と言われたときも、「あ、いいですよー」くらいの軽い気持ちであった。任されるとすれば一般では最短区間の3km。10km以下の距離というのは、トラック競技者の独壇場で、僕は歯が立たないとわかっていたが、ふつうのおっさんとしては速いわけだし、タスキを繋ぐための頭数だし・・・と。

だがしかし。大会が近づき、オーダー表を目にして、その「本気度」がだんだんわかってきた。メンバーには高校駅伝部がズラリ。沖縄本島のエリート高校に在学中の子まで(お父さんの実家がこの福嶺だとか)。エース区間には、東海大学を卒業して元自衛隊の、我が学区最速選手を呼び戻している。最強の布陣だ。そう、実は我が福嶺学区、かつては陸上王国と言われるほどに強豪揃いの学区だったそうだ。だから、真剣に血縁者、地縁者を当たれば、こういうことが可能になるらしい。いつの間にか、業界の前評判は、「今年は久松と福嶺の一騎打ち」と・・・。いやいやいや、待て待て。なんでそんなオールスターズの中に自分が!???もうじき40歳になるおっさんウルトラランナーですよ。ダントツ最年長だし!

公用車もなんか気合入ってる!?

まぁ、、引き受けてしまった以上、走るしかない。依頼した側にも、なにかしら考えがあるのだろう・・・

いよいよ当日、天候は強風&雨。ときどき嵐。

グラウンド端の屋根の下で選手集合&窮屈な開会式・・・w

駅伝の場合、ヨーイドンは一区だけで、その先はいつスタートするかわからない。アップがしにくい。雨だから、タイミングが悪いと、かえって体を冷やす。悩ましいところだが、今回、当学区はサポート体制も手厚く、各地点に1台ずつのサポーター&自動車がついてくれたおかげで、待ち時間を温かい車内ですごせた。ありがたやー。

雨と強風の中、外で待つのは冷える・・・

僕の走る10区は、最後から二番目。二人の高校生の間をつなぐポジション。9区がコーキ。11区がカイト。どちらも近所だし、小学生くらいから知っているが、今となってはスピードでは太刀打ちできない速さになっている。前評判どおりなら、1位でタスキを受け取る可能性もある。そこで僕が抜かれて、差をつけられてしまえば、残りの一区間で挽回できるかどうかわからない。鬼の布陣の久松から1位を守る?恐ろしい。

現場で待機しているとレース展開がほとんどわからない。が、ときおり入ってくる断片的な情報からすると、小中学生が全体の真ん中あたりで繋いだタスキを、高校生たちが一気に上位に持っていったようだ。1区間で5人抜きしたという情報も。シビれるねぇ。実力出しきれずに足がシビれてコケたりしたらどうしよーねぇw 

そしていよいよやってきた。そろそろかと思ってスタンバイした直後、ホントに1位だ。「マエダさん、あとはお願いしますっ!!!」必死の形相のコーキからタスキを受け取って、ついに走り出した。タスキは雨と汗で濡れて、じっとりと重たい。これを、誰にも抜かれずにカイトに渡せば、俺の任務は成功。走り出してしまえば、もう心配事はない。いつもどおりだ。3kmだろうが100kmだろうが、やることは同じ。アスファルトは俺のホーム。

やることは同じ。いつもどおり。

体は最初からほどよく温まっていて、動きも滑らかだ。足の痛みもない(痛み止め飲んだからかもしれないけど)。20mくらい先を行くワゴン車から、ハッチを開けてテレビカメラがこちらを見つめている。斜め後ろでは、サポートの原付から絶えず声がかかる。「いいペースだよー、そのままー、いい感じで走れてるよー」。振り返る余裕も勇気もないが、すぐ後ろに後続が来ている様子はない。おお。。これがトップ選手の見る眺めか!!大勢の選手ではなく、先導車やテレビカメラと走るレース。シビれるねぇ。

ほぼ全力で走り続ける3kmは長い。息が苦しい。右側を、選手たちを乗せた我が学区のワゴンが通過する。コーキが窓から身を乗り出して叫んでいる。「マエダさんにかかってます!!マジでッッ!お願いしますッッ!!!」 いつもマラソン大会で聞く「がんばって!あと少し!」とは応援の質が違うなー。他人事じゃないもんなー。ウン、任しとけ。キミらと同じスピードは出せんけど、オジさんにやれることを120%やるよ。

原付からの声が少し変わり、「もし余裕あったら、もうちょっとだけ、1秒でもいいから上げよう!がんばろう!」と聞こえた。GPSを見ると、いつの間にか失速している。マズイ、苦しいぞ。だが所詮のこり1km程度。気合を入れ直して再加速。なんとかペースを戻せた。前方に中継点が見えてきた。タスキを外し右手に握りしめる。あと100mもないのに、いつまでもそれが近づいてこない。カイトの姿が見える。まだ後続には抜かれていない。なんとか、、なんとか、受け取ったときより少し重くなったタスキを、彼の手に叩きつけるように渡す。あっという間にカイトは走り去り、見えなくなった。

ぶはぁーー!死ぬかと思ったが、任務は成功か!タイムは11分27秒、自己ベスト。あとは、、カイトがやってくれるだろう。2位はすぐには来ていなかった。彼ならきっと逃げ切ってくれる。

他学区のアンカーとして待機中の、FMみやこ先輩が撮ってくれた

その後、回収車との合流ミスなどあって、すこし手間取ったものの、競技場に戻ってみれば、福嶺の優勝が決まっていた。おお。さすが、逃げ切ったな。福嶺学区、なんと44年ぶりの優勝であった。

その夜はもちろん、学区の祝勝会。優勝旗に加えて、区間賞のメダルもズラリ。11区間中、なんと4区間で区間賞。いやはや。うちの高校生たち、速いとは聞いていたが、これほどとは。もちろん、エースも圧巻で、8kmの区間記録を46秒も塗り替えた。すげぇチーム・・・。ちなみに僕は区間9位。ははは。精進します。祝勝会はもちろん大盛況!44年ぶりの快挙に、選手はもちろん、関係者一同大喜び。僕も優勝チームの一員というわけで、ちょっと鼻が高いw 来年も呼んでもらえるといいな。それまでにもっとスピードアップしておこう。

さて、この駅伝で、僕の2018年のレース日程はすべて終わった。
振り返ってみると、
1月

  • 100kmワイドーマラソン 宮古勢1位
  • TOFR 怪我でリタイア
  • 5月 

  • 石垣島60km 総合3位
  • 11月 

  • エコマラソン 怪我の後遺症でリタイア
  • 多良間島マラソン 総合3位
  • 12月

  • 学区対抗駅伝 チーム優勝
  • ふーむ。怪我のリタイアを除けば、すごい優秀みたいな。実際、入賞も果たしたし。。
    が、自力とは言い難い。今回の駅伝はもちろんだが、上位が勝手に潰れたり、不調だったのに偶然、速い選手がいなかったり。2018は他力入賞の年と名付けようw 2019は、自力入賞の年にするのだ。今年はたくさん良い経験ができた。勝負の世界に踏み込めた。しんどい怪我をして、その分の見返りをもらった。駅伝で、デレビカメラを前に走ったのも最高だった。次に目指すは1月のワイドーマラソン。これで自力入賞したらサイコーだろうな♪

    今年は終わったみたいに見えて、実は練習強度はこれからがピーク。年明けとともに強度を落として、調整に入る予定。はい。まだまだ走りますw
    ではまた。