AuthorSassy

コソ練的な。

 ども。sassyです。
最近筆不精だった原因のひとつが、我がことならがちょっと理解できた。どうやら、SNSでのコメント返信が面倒だったみたいだ。だったら、わざわざブログ更新をSNSに載せたりしなきゃいいだろ!?って自分でも思うのだが、書いたものが読んでもらえないのは寂しいし、コメントをもらえること自体はうれしいのだ。まったく、なにより面倒くさいのは自分の性分だと思う。
 そんなわけで当面、ブログ更新へのコメント返信は基本的にしない方向でいこうと思う。ほら、コメントってもともと、元投稿への返信って意味合いがあるでしょ。だからそれに律儀に返信を返すってのは、レスへのレスみたいなもので、際限ないじゃない。ということで正当化しておこうw あ、コメント自体は大歓迎、ちゃんと読んでますよ。

 さて、いよいよ子どもたちは夏休みに入った。さんさーらの方も、いよいよシーズンピークだ。夏は毎年忙しいのだが・・・なぜか余計なことをやりたくなる時期でもある。これもそんなことの一部かも。

 ガレージ(トタン屋根)の下を、ジム化する計画w 
これは自作ケトルベル(コンクリベルと命名)を使ったデッドリフト。約30kg。裏庭に転がっている廃材を再利用しているので、コストゼロ。

 

 ぶら下がり腹筋+コンクリート約7kg。ホントは鉄棒を作りたかったが、コストゼロで実現するために、鎖で鉄パイプを吊る形に。

 さて、こんなことをして、ランニングのパフォーマンスに効果があるのか、、という問題。雑誌でもWEBでも「上を目指すのなら筋トレ必須」というのは言われているし、僕もいろいろ試してきた。が、どうもパッとしない。特定の筋肉を太くしてみたところで、それがランニングに生きるとは限らない・・・いや、生きることは極めて少ないと思うのだ。むしろ、動きが悪くなったり、別の場所が固まってしまったりして、パフォーマンスを落とすことも十分ありうる。やらないほうがマシってやつだ。

 だが、ここ数ヶ月、プロのパーソナルレッスンを受けてみて、「正しく鍛えれば、パフォーマンスは上がる」と確信した。今回のは、そのレッスンの中で、自分だけでもやれそうなものを自宅用にアレンジしてみた次第である。ちなみにポイントは、重いのを持ち上げること自体よりも、正しい動き、体の使い方で行うこと。きっと効果あるんじゃないかな。ま、なければやめるだけw 気軽に辞められるのが、コストゼロの強みかも。

 試しに懸垂もやってみたが、3回で終わった。箸より重いもの持ってないからなぁ。
ではまた。


宮変イベント2は夜のロング走

ども。sassy@宮古島変人会議(略して宮変)議長ですw
先日、第二回宮変主催イベントとして、夜のロングラン(60km)を開催したので、その様子など。

 今回のイベントの名称は「がんばれエドチカ☆月夜のロングラン」。アスリート仲間のエドチカさんが、今年9月に開催される、過酷な100kmマラソンに出るということで、彼女の練習を応援しようという企画。早い話、みんなで長距離走ろうよ、というだけw 夜開催なのは、この時期宮古の昼間は殺人光線が降り注ぐので、危険すぎるから。当初、こんな企画、3~4人集まれば上等かね、、なんて言っていたが、以外にも10人以上の申込みが。さすがにフル参加(全行程)は少数だが、「前半だけでも」「最初の10kmだけ」など、顔を出してくれる仲間が多数。

 コースはいろいろ検討した結果、中心街を12kmで一周するコースを5周ということに。途中参加しやすい、照明が多い、コンビニが多い、などが理由。ざっくり説明すると・・・(土地勘のない方は読み飛ばしてね)、パイナガマビーチ駐車場&ファミマ(CP1)スタート。市役所前を通り、鏡原ファミマがCP2。空港前を通り、マクドナルド前ファミマがCP3で、道なりにCP1に戻って一周。宮古在住者にはわかりやすいコースだと思う。当日の天候では、CP1~CP2は、かなりの逆風。走っても押し戻される感じ。CP2~CP3は、1周目こそ明るかったが、2周目以降は闇。明るくても景色の変化が乏しいので、後半は精神的に苦しい区間になるはず。CP3~CP1は、他より距離が短く、下り基調になる上に、「もうすぐゴール」という要素もあって、気持ちよく走れるだろう。

 スターティングメンバーは7人。最初の1周で抜ける人もいるが、途中から参加予定のメンバーもいる。意外なタイミングで接近してきた台風の影響で、夜間はかなり怪しい天候になりそう。

 1周目。みんなわきあいあいと、のんびりスタート。エドチカさんのペースに合わせて、急がずしっかり、距離を踏もうという目的なので、ぶっ飛ばしていくメンバーもおらず。午後7時。まだまだ街は明るく、そば屋や焼き鳥屋の吐き出す香りが、あまりに芳しい。フラリとカウンターに座って、「ナマ一杯!」とか言ってしまいそうだw 交通量も多く、信号待ちも多いが、空港では、JALの最終便が離陸しようとしていた。次の周回では、かなり暗くなっているだろう。

 2周目に入り、「ちょっとだけ参加」のメンバーが数人抜け、かわりにワタさん(50代女性)が参入。昨夜は3次会まで飲んでたとかなんとか・・・。いやはや、タフですなぁ。。僕の方はといえば、やや不調。ゆうべちょっとだけ飲みすぎたか?胃の具合が微妙で、体が重い。夏のロング走は、胃を痛めたら終わる。発汗量が多いので、水分やミネラルを補給し続けなければならないから。水分、特に冷たいものを飲み続けた結果、内臓を冷やして、後半、胃が何も受け付けなくなるというのもある。まぁそのへんは僕も素人じゃないので、うまくしのいでいこう。とりあえず、3周。そこまで走ったら、自分へのご褒美を用意しておこう。

 宮古空港はすっかり暗くなり、看板のネオンだけが光っている。空港前の通りは、僕が勝手にグリーンマイルと名付けた。歩道の半分が緑色に舗装されているからだが、夜の暗さ、変化がなくて精神的にキツくなる感じ、無数に配置された、男性の股間を直撃する高さのポール(闇夜では完全にトラップ)などが、死刑囚の歩く道のようだから(映画参照w)。日中は、中央分離帯に大きなヤシの木がならぶ、南国リゾートな感じの通りだが、もうすぐ完全に日が落ちて、グリーンマイルの本領発揮となるはずだ。

 3週目に入り、カモさんが抜けた。彼は時間がないので、イベント開始前に1周しておいたとのこと。なんと殊勝な。。面白い人達ばかりだなぁ。夜の宮古は暑い。いや、昼はもっと暑いのだが、夜も気温があまり下がらないのである。特に湿度が苦しい。そんな中、ハーフマラソン以上の距離を走ってきて、いつしかみんな口数が減ってきている。ペースもだんだんバラけてきた。僕も人のペースに合わせるのがしんどくなってきたので、自分の走りやすいペースに変更。集団がバラけた分、先行ランナーもCPで一度止まって、後続を待つという流れに。みんなで走ってる感が楽しいし、それが気持ちをラクにしてくれるわけなので、その点はみんな異論なしだったと思う。

 すでに深夜11時。交通量はめっきり少なくなった。繁華街近くを走っているとき、すっかりデキあがった女性二人組が、先頭を走っていたKさんと接触しそうになる。Kさんが、スミマセン、と言いつつすれ違ったときの、二人組の唖然とした表情が笑えた。「こ!!こちらこそ!!スミマセンっ!」って。酔っ払いと呼び込みしかいないと思っていた夜の繁華街を、汗だくの謎集団が走ってゆく。あれは宇宙人と出会った人間の目だったなw 僕はこのあたりから、調子を回復し、気持ちよく走れるようになってきた。体も軽くなった。よしよし。この感じなら60いけるな。CP3からの数キロは少し加速。お楽しみがあるからね~

 4周目に入る前のCP1。みんなより少し早くコンビニに着いて、カップ麺と発泡酒。ハァ、これよ、これ♪ロングランの醍醐味じゃ♪胃が温まり、テンションが上り、眠気が覚める。さぁ、ここからがロングランの真骨頂だな♪ とうに日付は変わり、街は寝静まり、小さな交差点の信号は点滅に変わった。コンビニを除けば開いている店は少ない。ドン・キホーテはこんな深夜でも開けているみたいだ。夜の60kmランは、もう何年も前から一人でやっている。この時間帯は好きだ。物事の輪郭はぼやけて、闇との境界が曖昧になり、自分とその他の違いもぼやけてくる。目に映るものすべてが自分のもののように感じる。うぉー、オレの世界だ!・・・ちっとヤバイやつみたいだけど、まぁ冷静に見たらやっぱりヤバイやつなので、よしとしようw 

 メンバーは最終型か。エドチカさん、ワタさん、Kさん、けんけん堂。それに、4周目からマナが加わった。眠そうだったエドチカさん、マナの参戦はかなり嬉しかった模様。おしゃべりしながら同じペースで走れるから、気が紛れるというもの。気のせい??いやいや、ウルトラマラソンなんて、8割は気の持ちようだから、全く正しいと思う。CP3に到着して、けんけん堂が、4周で終わる宣言。一緒にKさん、ワタさんも。まぁ仕方ないでしょう。本人が愉しめば娯楽、強要されたら拷問。そういうイベントなんで。それにしても毎度思うが、けんけん堂のレースと練習でのテンションのギャップがすごい。レースではまるで石仏。1000年前からそこにいるような安定感と頑丈さなのに、練習では藁人形くらい。疲れたからもう帰るもん。みたいなw 石仏を打ち砕かないことには勝ったことにならないので、今回みたいのは勝負ではない。Kさんもワタさんもお疲れっす。まさか女性陣がこの時間まで付き合ってくれるとは、想定外。
 
 いよいよ5周目。僕はもう一発、カップ麺と発泡酒でドーピング。左足がちょっと痛いが、深刻ではないし、後遺症になることもなさそう。残ったエドチカさんとマナは、5周目コンプではなく、走行距離が60kmになるように調整して走るとのこと。周回ごとの誤差の積み重ねで、5周目を完走すると61~62kmくらいになる計算なのだが、それがしんどい。が、なんとか60kmは達成したいということで。マナはこういう展開も意識して、あえて終盤参加にしたとのこと。うーん。デキた子だねぇ。。僕なんていつも自分のことで手一杯なのにね。とにかく、5周目を走るのは僕一人になってしまった。だったらもう、CPすっ飛ばしてさっさと完走してしまおう。休憩から復帰するときが精神的に一番しんどいし、胃が疲れてきて、水分補給がしにくくなってきてるから、ちょうどよい。さぁ、さっさと仕上げるぞー。

 街は深夜から夜明けに向かっている。ドン・キホーテもついに閉店した。新聞配達が動いている。空港前では、畑の方からコケコッコーの声。マクドナルドのメニューがマフィンに変わっている。あーあ、ホントに徹夜ランになっちゃったなぁ。ビーチでシャワー浴びたら、朝マックして帰るかな。あ、、マナもこっちにいるんだから、子供の学校に間に合うように帰らなきゃ。非現実の時間もそろそろ終わりだ。

 お疲れ様でした!!みんな、思い思いに楽しんでくれたんじゃないかなーと思います。ランニングって、極めて個人的な遊びだと思うけれど、走るのが好き、っていうだけの理由で、こういうつながりかたもできるんだなぁ、ってしみじみ思います。またみんなでおかしなことやりましょうw

やり切った感がハンパない


足底筋膜炎、終息へ

 ども。sassyです。
かれこれ10ヶ月苦しめられた、左足足底の痛み。いよいよ終わりが見えてきたので、そのへんを今日は。

 今までもいくらかのケガは経験してきたものの、それらはすべて、「治った」という風に終息してきた。今回の大きな違いは、その期間の長さも大きいが、「治した」という実感だろうか。受け身で治るのを待っていたら、きっと今でもグヂグヂ痛みに耐えていたと思う。そのへん、自分の備忘録を含め、足裏、踵周辺の痛みに悩んでいるランナーの参考になるかもしれないと思い、筆を取る。・・・筆?いや、キーボードだw

 まずはじめに、語り始めると長くなるので、結論だけ知りたい方は、こちらからすっとばしていただきたい。

1)発端
 「ケニア人のように走りたい!」という動機からフォーム改善を初めて数ヶ月。ストライドを伸ばす工夫をしているうちに、左足裏に、ピリピリした痛みが発生。最初は重大視せずに、運動強度を落としながら様子を見るも、どんどん悪化。地元のスポーツドクター(整形外科医)を訪ねてみるも、「足底筋膜炎ですね、痛みが引くまで安静に」とのこと。クソクカつく。痛みが引くまで安静に、なんて、ド素人でも言えること。痛みが引かなきゃ、永遠に走るなってことだからね。おとなしくしてれば、いつか治るかモネー、って意味。ふざけんな。ちなみに、リハビリと称して教えられたストレッチは効果ゼロ。

2)自己責任
 一ヶ月くらい、ランニングをやめて、自転車を漕いで過ごした。が、走り出してみれば、痛みはまるで変わらず。体が、このトラブルを治すのを忘れてしまったみたいだ。レースシーズンまであと2週間ほど。そこで、自分なりに結論を下し、覚悟を決めた。痛いけど、これは脳の誤解だ。神経痛であって、肉体的な損傷はすでに終わっている!だから、痛みさえ無視すれば走れるはずだ!
 そうやって走って、いくつかのレースで記録を残し、いくつかのレースで酷くぶっ潰れた。

3)本気で向き合う
 4月のトライアスロンが終わり、シーズンオフへ。相変わらず痛い。来シーズンもこの痛みとともに走るのかと思うと、生きていることがイヤになる。これまで、いくつかの整形外科医や、治療師たちに世話になったが、回復の兆しは見えず。いよいよ危機感がつのる。もしかして、自分はこのままこの痛みから開放されることなく、アスリートとして終わるのだろうか。そこで思い切って、1ヶ月の完全休養を宣言。この間は一切走らない!
 そういう期間を設けてみてわかったのだが、走らないことそのものよりも重要なのは、怪我の治療にすべてを捧げる時間だったのだな。今まで走ることに使ってきた時間をすべて、情報収集と治療実験に使う。これが大きかった。

4)仮説と実験、考察
 最初、足裏(特に踵周辺)が痛いが、痛みの位置が移動することや、朝イチや冷えたときに痛みが増すことで、神経痛の症状を強く疑っていた。坐骨神経痛。症状によって、踵に痛みが出るケースもあるという。が、坐骨神経痛の対処法、ストレッチをいろいろ試したが効果は感じられず。整体師・けんけん堂の話から、「神経が圧迫されるとしびれる。神経が引っ張られると痛いらしいよ」という話を聞いて、やっぱり足底周辺を疑ってみることに。
 とにかく、下半身の筋肉、筋膜の硬直は多岐に及んでいたたため、最初はひたすらストレッチに専念。180°開脚できるようになるほど柔らかくすれば、問題の箇所が炙り出せるはずだと思って、ひたすらストレッチ。それを続けた結果・・・痛みを引き起こしているのはやはり足底筋膜と断定。後述するが、足底筋膜をほぐす方法を見つけたあとも、悩んだのが、「なぜほぐした翌日には、また硬直しているのか」ということ。結論は、スネ周りの筋肉(あるいは筋膜)の硬直。足底とスネ周りをリリースすることで、ついにこの痛みの終息を見るに至った。マニアックな話になるが、スネ周りのマイナーな細い筋肉たちは、足裏のアーチを維持するの働きもしている。ふくらはぎは注目されがちだが、スネの表側にある前脛骨筋や、さらにマイナーな後脛骨筋腱、腓骨筋群などは、大半のアスリートが知らないのでないかとおもう。原因不明の痛みで悩んでいるアスリートは、こういう筋肉に注目してみると、案外打開策があったりするんじゃないかな。

5)今
 朝イチの痛みが10日くらいはなくなっている。朝は最悪の時間だった。寝起き最初の一歩がイヤなばかりに、起きることが億劫だった。あぁ、再び、走ることを無邪気に楽しめる日々が近いんだな、と、幸せを噛み締めている。

※簡単に言うと

 とりあえず、コレを買いましょうw足裏グリグリやるため。

テニスボールサイズのマッサージボールw
by トリガーポイント
Amazonでふつーに売ってるけど、「はぁ、こんなただのボールのくせに高すぎね?」と思って敬遠してた自分を呪いたい。

え、テニスボールでいいだろって?コレで2000円とかおかしいって??
うん、思う存分、類似品を試してくださいませ。
僕はコレで解決策になるってわかってたら、10万円でも買いましたねw
使い方は、You Tubeとかでもいろいろあるので参考にされたし。ま、青竹踏みの要領ですな。やればわかる。

 あと、スネ周りの筋膜リリースは、定番のローラーで十分に効果あり!
(前述のボールがあまりに劇的に効いたので、ローラーもそのメーカーのを注文してみた)
痛気持ちいを基準に、ローラーとバーを使い分けてます。

今、久しぶりに走れる幸せを感じている。それは怪我の終わりが見えたことだけではないのだが、それはまたあらためて。
ではまた。


万策尽きて

 ども。sassyです。

 子供部屋のエアコンが壊れた。移住のかなり前に買ったブツなので、修理する価値はない。仕方なく新しいエアコンをホームセンターで注文したが、取付工賃が以前の5割増しくらいになっててビビる。悪名高き宮古バブルの影響だろう。こんな時期に壊れるとはツイてない。しかも、2週間待ちだそうな。この時期、エアコンなしで寝るのはかなりの苦痛、以前子供部屋の窓を開けて寝させていたら、ムカデが侵入した経験もあり、子どもたちはエアコンがつくまでの間、子供部屋では寝ないということに。小学生の娘が二人、寝室に追加されると、僕の寝る場所はもう事務室くらいしか残ってない。あーあ。仕方ない、ブログでも書こうか。

 前回ブログを書いたころは、ノリノリイケイケ気分だったと思うが、そっちのバブルはすでに弾け、今はけっこーヤバめ。麻雀でも、バカヅキの後には地獄が待ってるもんね。。昨年の9月ごろからずっと患っている左足の踵は、足底筋膜炎ではなく、坐骨神経痛の一種であるという結論に至った。いや、最初は確かに足底筋膜炎だったと思うのだが。どうでもよいが、痛い。走ることこそ我が生命、怪我だって走りながら治してみせる、と息巻いていたのも過去の話。ついに折れた。トライアスロン以降、この宮古にいながらできると思われる対策は、考えうる限り試したつもりだ。整形外科や鍼灸はもちろん、暇さえあればネットから情報を漁り、おかげで、下半身の筋肉や神経の構造にはかなり詳しくなったと思う。様々なストレッチや体操、ツボにお灸、健康法なども片っ端から試した。・・・が目に見えた効果はなし。痛い。そして、ついに諦めの境地に至り、唯一試さなかった最後の手段・・・つまり、休養を取ることにしたのだw 期間は2~4週間を考えている。骨折でも4週間でおおよそ治るのだから、このくらいで勘弁してほしい。

 思えばこの2年ほど、病気で倒れた時を除けば、3日以上の連続休養は取った記憶がない。この怪我で最初に医者にかかったとき、「とにかく足を休めろ、治るまで!!」と高飛車に言われて、渋々ながら1ヶ月間、ランを休んだのだが、その間はほとんど休まずバイクに乗っていた。これは、坐骨神経痛への対処としては最悪だったかもしれない。

 「人生の楽しみの大半を失った!」とか、この身勝手な男はボヤいているわけだが、ちょっと視点を変えてみるとどうだろう。例えば、カミサマがいて、コイツをもっと成長させるには、どうしても休養というものを教えねばなるまい、と考えたとする。アンタはちょっと疲れを溜めすぎてるから、しばらく休みなさい。と言ったところで、絶対聞く耳を持たない。自分の経験に基づくもの、理路整然としたものしか信じないタイプだからだ。いいや、オレは疲れてなんかない、と言い張るに違いない。仕方がない、休まざるを得ない怪我でもさせるか・・・となるんじゃないのか。

 まぁなんにせよ、痛みを堪えて走るのはもうイヤになった。休めば治るって保証なんてないが、代案もないし。それに実は、最近の体調の悪さは疲労のせいなんじゃないかと薄々思っていたところでもあった。何週間も下痢が続き、寝起きが辛い。トレーニング後でも食欲が出ない。立ち仕事で、膝下がしんどい。情緒不安定。おや・・?書き出してみると、このヒト、過労死の兆候があるんじゃないのw

 今日で休養4日目になる。その間、娘の運動会と、ハーリーがあった。運動会では、立っているだけでしんどいことがわかった。こんなんでよくまぁ毎日、炎天下を走ってたもんだ。呆れるやら感心するやら。運動会の後は、PTAの慰労会。宴会部長の僕が休むわけにはいかないので、それなりに飲んだ。が、翌日は案外ちゃんと起きれた。最近、飲みの翌日は、病人さながらだったのだが、もしかしたら、飲みの前(当日朝とか)のランニングが、ダメージを倍加させていたんだろうか。

 PTAで参加した浦底漁港のハーリーは、一回戦でまさかの衝突&沈没!無念だなぁと思っていたところ、人手不足のチームにと誘われて、気づけば6本以上サバニ(船)を漕いだ。休養のはずが・・・いやいや、これはレジャーだから!業界では「疲労のマスキング」という言葉があるらしい。つまり、疲れているのに、その実感がない、自覚症状が出てこないという状態である。僕の場合、トレーニングやスポーツのスイッチが入ると、疲労のマスキングも自動的に起動する習慣になっているのかもしれない。

ハーリーには娘も参加させていただいた。本人は疲れたようだが、素晴らしい経験!

 しばらくは走らない生活を堪能しよう。ボヤきながら。。
ではまた。


憧れのカーボン

ども。sassyです。思いがけぬことが起こるのもまた人生・・・
ある日のこと。

 宿のリピータ、Mさんファミリー。Mさんは元々ガチアスリート、体を傷めてから競技からは身を引いたものの、それでも自転車熱は相当なもの。前回さんさーらに泊まったとき、「次回は自転車持ってきたいなー」と言っていた。それを今回実行に移したのだが・・・トラブル。最初、自分で飛行機に持ち込むつもりだったのだが、家族もいるのに荷物が増えるし、追加料金も安くない。ヤマトに聞いてみたところ、送料もそう高くなく、2~3日で届くとのこと。それなら、旅行出発の数日前に発送しておけば、軽装で宮古入りして、すぐに乗れるじゃないか♪ ということで、「自転車が先に届いたら預かってね!」と連絡が来たのだが・・・。それが届かない。なんと、受付のときとは話が食い違い、まさかの船便扱いになってしまい、何日かかるかはっきりわからず、おまけに追跡サービスもエラーで使えず。当然、Mさん、ヤマトに激怒。「俺のGWをどうしてくれんじゃーー!」。僕は為す術なく、それを見守りつつ、自転車談義や、最近の離島運送事情などを語って一夜を過ごした。バイク乗りにとって、宮古島がどれほど魅力的かは想像がつく。苦労してバイクを解体、梱包、発送して、旅ライドを楽しみにしてきたのに、肝心のバイクが届かない絶望感もよくわかる。

「俺のバイク、滞在中に届かないかもなー、そしたらsassy,悪いけど着払いで送り返してくれるかな」
「えぇ、そりゃもちろんかまわないっすよ」
「・・・ってかさ、俺のバイク、乗る??ビアンキのカーボンだけど、セカンドバイクだからたまにしか使ってないし」
「!!???」
「で、俺が年に一度か二度宮古に来たときに使わせてくれればいいからさ」
「え・・・いや、そりゃまぁ願ったりですけど・・・ってか、僕に都合良すぎません??」
「いいんだよー、乗ってくれる人に託したいんだ。俺もそうやって先輩にバイク譲ってもらったしね」

 飲みながらそんなやりとりがあったのだが、例のバイクはその翌日到着した。

 Mさん、大喜び。ソッコーで組み立てて、2日で200kmくらい乗ったんだろうか。いやいや、よかったよかった。僕らの商売は、ゲストさんの満足の一部をお金として受け取ることだと思うので、ゲストさんにとってがっかりの旅になってしまうのは、僕らも辛い。そして、その後・・・彼は本気だったことがわかった。ホントに愛車を置いていく、いや、僕に譲る、と。

 そんなこんなで、憧れのカーボンバイクに乗ることになった。多忙なGWだが、少し時間を作って試乗してみた。恐ろしく軽い!セッティングもライディングポジションも、まだちゃんと決めてないのに、明らかに速い。上り坂や高速域での加速が顕著だ。いつもは苦しい上り坂で、息が乱れない。「瞬間速度40kmまでスプリントエリア」は、通常死に物狂いで回すのだが、50kmまで出てしまってビビった。いやはや、トライアスロンで自分の周辺を走ってた連中は、こんなんに乗ってたわけか。アルミで張り合ってた俺スゲー??ww このマシン、自分にぴったりにセッティングして、トライアスロン仕様に改造したら・・・と思うと、ひとりニヤニヤしてしまう。ありがとうございました。大切に乗ります。そして結果出します!!

 さて、現役引退となった、僕のFELTくん。

 実はすでに、フレームの一部で塗装のハゲなどが。おそらく、アルミ本体の腐食が始まっていて、その膨張の結果として塗装が割れているのだと思う。まだ何年かは大丈夫だと思うが、いずれは危険になるはず。Mさんの好意でカーボンに乗らせてもらえることになったわけだし、僕もこのバイクを「乗ってくれる人」に託したい。そして、ちょうど身近に、今月からトライアスロンを始めたいという女性が。あ、マナじゃないですよ、もちろんw 素晴らしいセンスの持ち主なので、彼女が誰かは、宮古選手たちはいずれ知るでしょう♪ 残念ながら僕とはかなり体格が違うので、彼女のマイバイクを購入するまでのつなぎとなるが、なにせ高額の買い物なので、すぐにバイクを始められるというメリットは大きいはず。僕自身のことでも楽しみだが、彼女が宮古トライを完走するのを想像すると、さらに楽しみだ♪

カーボンバンザイ!

 さて、そろそろ仕事に戻ります。ではまた。


僕はサーファーではないけれど

 ども。sassyです。今日は「波」について書いてみたいと思います。

 最近・・・正確には、ここ数ヶ月、いい波が来ている気がする。いや、海の話じゃなくて・・・誤解を恐れずいえば、「運勢」というのが近いだろうか。例えば今日もこんなことがあった。マナが昼前に子供を連れてでかけたいというので、仕事との兼ね合いで、いつもより自分のランニング時間を早めた。ランニングに出てみると、雨上がりで、道の一部にぬかるみができていた。旅行者のサイクリングファミリーがそのぬかるみで転倒して、怪我はないものの、泥まみれになって困っていた。こういうのも縁だと思い、うちに寄ってドロだけでも落としていくように勧めたところ、大変感謝された。話してみてわかったのだが、その家族はうちの母(名古屋)の知り合いであった。うむ。まるで宝くじに当たったようだ。何か得したわけじゃないが、ものすごく得した気分だw

 こういう、短期的に見れば損とも得とも言えない、気持ちの良い「偶然」が、よく起きている。こういうときは概して、人生のバイオリズム(?)が上向きのときだ。サーフィンで言えば(やったことないけど)、良い波が来ているということだと思う。ここで言う波というのは、つまるところ「運の波」だ。

 「運なんて存在しないよ、オカルトだ。ある人がある出来事に遭遇したとして、それを幸運と取るか不運と取るか、それはその人次第だよ。万事塞翁が馬というじゃないか。幸運続きの人生だと思ってる人は、少々おめでたい性格なだけさ」
 「だからね、運は客観的には測れないから、ある個人の主観に基づいて考えるわけだよ。ある人にとって幸運か不運か。そうすれば、それはコイントスの表裏みたいなものでしょ。そして、確率は超長期的には収束するわけだけど、短期的には大きな偏りが生まれることが多いでしょ。だから運勢は存在するのさ」

 うん・・まぁこういう脳内議論は一通りやったかなw もともと理系タイプで、博打好きだった僕は、運というものについて、嫌というほど考えてきた。麻雀でいい手が入ったが、先行リーチを受けてしまった、押すか引くか・・・。パチスロで大当たりが3連チャンした。続けるべきか、やめるべきか。基本的な技術、知識、経験が揃っていなければ話にならないが、最終的には直感でエイヤーと決めるしかなくなり、その結果を次の決断にフィードバックして行くことになる。何にせよ、若い頃は、「運は引き寄せるもの、コントロールするもの」という発想が根底にあった気がする。

 不惑の年になって思う。「良いものは向こうからやってくる」。逆境の中でジタバタして血路を開いたことだって、あるにはある。それは自分の人生への自信になったかもしれないが、あのときもしも、カメになって嵐をやり過ごしていたらどうなったか、それは誰にもわからない。ジタバタして開いた血路は、「最悪」を「ややマシ」に変えた程度である。これまでの人生で何度かあった、絶好調!無敵状態!ってコンディションは、自分で作り出したわけではなく、やってくるいい波にいくつか続けて「乗れた」結果だったように思う。

 「来る者は拒まず、去る者は追わず」は、運との付き合い方において、正解に思う。どれほど一流のサーファーでも、波を起こすことはできない。技術を磨き、期待値の高いポイントに行って、あとは待つのみだ。波が来ないからといって、やみくもに沖に出ていったりしては、事故を招くだけだろう。良い波が来たら存分に乗って、悪い波は静かにやり過ごし、ベタ凪のときは陸に上がってビールでも飲む。次の10年はそんな感じの生き方にしたいなー、などと思う。

 ではまた。


全日本トライアスロン宮古島大会 2019

ども。sassyです。
最近ブログ運営は縮小中だけど、レースレポートは書いておこうと思う。こんなんでも期待してくれてる方もいるらしいしw

 今回で4度目の宮古島トライアスロン、通称ストロングマン。一昨年、脱トライアスロン宣言をして、ランナーとしてひたすら走り込んできたのだが・・・去年観戦に回ってみてよくわかった。観戦とか無理だ。あの熱狂の中、苦しい顔をしながらも、足を引きずりながらも、車道を駆けていく大勢の選手たち。仲間やライバルたち。それを歩道に立って見ている自分。なんだこの疎外感!!なんで自分は汗もかかずに突っ立ってんだ!?違うだろ??・・・・とまぁそんなわけで、十八番の「前言撤回」からの、トライアスロンエントリーとなった次第。とはいえ、自分の立ち位置は見失っていないつもり。僕は「トライアスリート」ではなく、「トライアスロンもやるランナー」だ。だから、先月のフルマラソン連チャンが終わるまで、スイム、バイクは息抜き程度の練習にして、ひたすら走った。そのあと一ヶ月間、スイム、バイク主体練習に切り替えた。溺れない程度に泳ぎ、一昨年並みのタイムでバイクを走り、ランで千切るというのがテーマ。タイムや順位は第一目標にせず、とにかく限られた時間で体と心をトライアスロン仕様に切り替え、当日なりのベストを出すことに専念することにした。

 早朝三時半起床。レース前の不眠症は定番だが、今回は比較的眠れた気がする。外は雨。しかもかなりの雨脚。雨のトライアスロンは、バイクが怖い。路面抵抗が下がってスピードが乗りやすくなるのだが、それに加えてブレーキが効かなくなる。当然スリップも多くなる。高速走行時に転倒したら、多分救急車。・・・ま、いっか。天候くらいで一喜一憂するほどの初心者ではなくなったらしい。軽く朝食を取って、五時前に出発。

 会場に入ってみると、雨の中すでに多くの選手達がレースの準備中。寒い。防寒を兼ねて、早々にウェットスーツを着用。風が弱いので、スイム中止の可能性は低いが、雷がなった場合は別。何にせよ、レース前にお腹を冷やすのだけは避けたい。この雨のためだと思うが、肩や腕にマジックでレースナンバーを書き込むナンバリングが、今回はナシ。作業がひとつ減って楽なのだが、アレが「トライアスロンらしさ」 のひとつなので、ナシだとなんか落ち着かない。雨の中のレース準備はほんとに面倒くさい。バイクには昨夜からカバーがかけてあるが、駆動部を濡らす時間は最小限にしたいので、外すタイミングを悩む。シューズや着替え袋など、できる限り濡らしたくない荷物も多い。日焼け止めを塗るかどうか悩む。ああ。。もう。。。。そんな中、スイム決行のアナウンス。はいはい、豪雨だろうと泳ぎますとも、覚悟してましたよ。

 今回のレース、「当日なりの、自分なりのベストを」と、お行儀の良いことを言ってはいたが、始まってしまえばそこは勝負の世界。ライバルがいなきゃね。アスリート仲間はだいぶ増えたが、その中で今回のライバルと目している地元選手を3人紹介しましょう。

□■蕎麦屋選手■□
別名、ちっこいおっさん。恐るべきスイムで先行し、逃げ切るタイプ。「俺、今年は全然だめだよ~」が口癖だが、信じてはいけない。個人的に、「負けたらパフェおごり」勝負をしている。

□■KPP選手■□
相当な実力者なのだが、なぜか僕に「宮古トライで勝負しましょうねー」と言ってくれる。アンタには敵わんよ、というのは簡単だが、いい状態でランにつなげれば、もしかして・・と思っている。

□■リーダー■□
宮古トライアスロン業界で、練習会を主催したり、懇親会を企画したり、いろいろと骨を折ってくれている頼りになる選手。実力的には僕より格上と見ているが、彼も少々ブランクがあるので、いけそうなら狙ってみたい。

以下、選手たちは敬称略で書かせていただきます。

 悪天候の影響で、15分遅れてのレーススタート。スイムコースは従来、ブイとロープで区切られた3kmのコースを一周するものだったのだが、去年から1.5kmコースを二周に変更になっている。僕は変更後初挑戦だ。二周ってことは、インとアウトの差が大きくなったんだよなー、と思い、とりあえずイン側からスタート。僕の平凡なスイムタイムからすれば、どこからスタートしようと、激戦区になるのは当然。だったら、せめて短距離を、と思ったのだが・・・想像を遥かに超えるバトル。え?え?スイムってこんなんだっけ??おい、ちょっとまて、コレやばくないか??おい、呼吸させろよ、ってか背中に乗るな!足首掴むな!ぶへっ(ビンタ食らった)・・・スタートから400m、一瞬、心が折れかけた。残りは2000m以上、1時間近く。このイワシの群れのバトルロワイヤルみたいなのを、耐えきれるのか?一滴の墨汁が、桶の水を徐々に黒く染めていくように、心に恐怖が広がっていく。マズい。スイムの過酷さ自体よりも、心が染まっていくこの感じがマズいぞ。とにかく一度ロープの外に退避して、立ち泳ぎしながら、心と体勢を整える。深呼吸して、自分に言い聞かせる。大丈夫。俺は何度もこれをクリアしたじゃないか。気持ちで負けなければ、体力は腐るほど余ってる!気持ちを立て直して、イワシの群れに戻る。とにかく、少しでも広いスペースに入り、蛇行したりぶつかったりしてくる選手から離れる。タイムはこの際忘れよう。そうして二周目に入ると、かなり人口密度も下がり、泳ぎやすくなった。ああ。もう大丈夫、あとはいつもどおり泳ぐだけだ。泳ぎきってビーチに上がってみると、タイムは1時間と3分ほど。思ったより良いぞ。1時間10分以内ならヨシと思っていたのだから。

 小走りしながらウェットを脱ぎ、シャワーで海水を流す。トランジッションはやることが結構多い。上級者は、トランジッションの手際も非常によく、ここだけでも数分の差がつくようだ。土砂降りの中、要領の悪いトランジッションを終えて、バイクに飛び乗る。ああ。やっと陸に上ったんだな。もう海はこりごりだ!少なくともこれで溺れることはないぞ。スイム、バイク、ランと続くトライアスロンだが、これは僕の苦手順でもある。つまり、後半ほど得意なわけで、スイムさえ終わってしまえば、あとは順位をあげていくばかり。さぁ、ライバルたちよ、いまどのくらい離れているのかな?待ってろよー!

 雨の中のバイクは、案の定スピードが乗る。風も弱く、走りやすい。スイムによる体調不良もなさそう。よしよし、ここまでは快調。だが、バイクでがんばっちゃいけない。なにしろ6時間近くもペダルを回し続ける上に、そのあとでフルマラソンだ。ランパートが僕の真骨頂なのだから、バイクで困憊なんて最低なのだ。前述したように、今年はバイクの練習量が絶対的に少ない。ゴリ押しは禁物。それは練習段階からわかっていて、だから技術練習に専念してきた。距離よりもトップスピードよりも、とにかく安定したペダリング。回転数を90~100で安定させ、高すぎず低すぎないトルクを保つように、こまめにシフトチェンジする。登りや逆風に立ち向かわない。下りや追い風では、足を休めつつも適度にトルクをかけて、もらえるタイムボーナスはもらう。

 トライアスロンの面白いところだが、種目が変わるたびに、周囲の選手層が変わる。スイムが苦手だがバイクがめっちゃ速いとかよくある話で、自分が失速したわけでもないのに、弾丸みたいに追い越していく選手がいたりするし、信じられないくらいノロノロ漕いでいる選手もいる。単種目競技ではあまりお目にかかることがない状況である。僕の場合、スイムよりはバイクが速いので、徐々に順位は上がっていく。が、ときどき弾丸ライダーが右側をぶっ飛ばしていく。僕が5人くらい抜くと、1人くらい弾丸が通過していく感じか。だが、バイクも50kmくらい進めば、だんだん周囲のメンバーは安定してきて、同じような顔ぶれで抜きつ抜かれつとなってくる。ライバルたちはどこにいったのかねー、と思っていたところ、池間大橋でKPPとすれ違う。池間大橋は折返しコースではない。島を一周して橋に戻ってくるコースなので、その差はまるまる島一周分以上、距離にして約10kmか。早速無理ゲーな匂いがする。結局それからライバルたちに会うことはなかった。100kmほど進んで、東平安名崎を越え、コースは自宅周辺へ。このあたりで家族と一緒にケースケさんファミリー(さんさーらの元ゲスト、現在宮古在住)が応援してくれているはず。直角カーブの向こう側で、彼らの姿が見えた。手作り横断幕をかかげて、子どもたちと手を振っている。いやー、うれしいねぇ。ちょっと充電できたぞ。さぁ、バイクも残り3分の1程度だ。

 バイクコースは終盤までいやらしい坂が続く。例年だと、ここで足を使ってしまうのだが、今回は冷静だった。高めの回転数を維持できる坂はサクサク登り、そうでなければ、さっさとダンシングでハムストリングを温存。技術練習と作戦が功を奏したか、バイクフィニッシュ時にかなり足を残せた。おまけに、タイムも想定よりかなり良い。5時間28分だが、スイム後のトランジッションを含むので、おおよそ時速30kmで巡航できたことになる。こりゃトータル10時間半はいけるかね♪♪

 再び要領の悪いトランジッションを終えて、いよいよランへ。バイクの間もコロコロ変わった天候だが、とりあえずは晴れた。足も生きてる。お腹は冷えてない。バイク前にワセリンを塗り忘れるという大失態をしたのだが、ゴールデンボールが擦り切れて出血する前にランにつなげた。ランの目標タイムは3時間半~4時間。が、とにかく状況に対応するのが大切なので、タイムには執着しないようにする。走り出しは当然、足がカックンカクンするのだが、想定内だ。数キロ走れば、安定してくるはずである。ランに入ると、固形物を食べられるのもうれしい。バイクではジェルと飲み物だけなので、胃が気持ち悪くなってくる。

 ランスタートから10kmほど走ってみて、わかった。結構苦しい。キロ5分~5分半くらいのラップで来ているが、これでは3時間半に届くことは絶対ない。呼吸の感じからして、これ以上のペースは、潰れる恐れがある。エイドでのタイムロスも想定以上だ。固形物を取れるのはありがたいが、立ち止まる時間も長くなる。が、時間を気にしすぎて補給を怠れば、恐ろしいことになる。気持ちも持たない。
 
 ランコースは一本道で、折り返し地点が自宅周辺。折返しからの距離で、すれ違う選手たちとのタイム差を推測できるし、折返し地点で応援してくれている家族から状況を聞くことも可能。ずっと姿を見ないライバルたちは、僕の前方を走っているはずだが、一向に背中は見えない。焦ってペースを上げたくなるが、それはガマン。まだ長い。現状のペースでも、徐々に順位を上げているのだから、贅沢を言ってはいけない。誰も僕を抜いていくランナーはいないのだから(実際、ランパートで順位を170ほど上げた計算になるのだが、その間僕を抜いたのは数人だった)。

 ラン往路もいよいよ終盤に入り、地元感が増してくる。エイドでは、保育園の先生たちが「ましろのパパが来たよー!!」と応援してくれたり。沿道では、娘の小学校の子どもたちも応援してくれる。いいねぇ、この一番苦しいポイントで。地元ボーナスだなw 折返しまで残り2~3kmの地点でついにKPPを確認。彼が宮古勢2位のようだ(一位はセミプロクラスでダントツ)。うーむ、しかし距離を考えると、圏外だな。4kmの差だとして、それを残り23kmで詰めるとなると、6km弱につき1kmだ。仮にキロ6分で走っていると1kmにつき1分詰めるというのとになる。つまり、KPPよりも1分速いキロラップが必要。うーむ。相手が初心者ならともかく、無理だな。こっちが破滅する。バイバイ、KPP!今回は君の勝ちだ!!只今を持ってライバル解除させてもらうよ!もう追わない☆

 対向車線の選手を注意深く観察しながら走ると、折返しまで1kmあたりで、ついに蕎麦屋とリーダーを目撃!かなり近くを走っているようだ。蕎麦屋は僕を見た瞬間「イターーーー!!!」とシャウトしてそのままハイタッチ。わかるわかる、僕も100kmマラソン折返しでけんけん堂を見たときそんな感じよw だけど、、2km差かぁ。さっきの計算を応用すると、キロあたり30秒くらい詰めなきゃならないのか。蕎麦屋が失速しない限りは厳しいなぁ。ってかさ、、スタート前、「今回は11時間切れないだろうなー」とか言ってたぢゃんかよ。コレ、10時間半ペースだし!ちっ!謀られたな・・・。 リーダーの方は、「うーん、2kmかー、近いなーーー」という呟き。おや?案外弱気になってないか?もしかして失速中とか?まぁいいや、追いつくにしてもそうでないにしても、レース最終盤での話だ。とにかく黙々と走るさ。

 折返し地点は知り合いだらけ。ほんと好きだな、このポイント。トライアスロンのコースなかで一番好きだ。マナの姿が見えて、がんばれーとかナイスランとか言うのかと思いきや「蕎麦屋さんが、パフェいただきって言ってたよ!!」だと。ここでアオリかい!・・・あ、そうか、蕎麦屋はここでフカした数分後に僕を見て、「イターーーー!!!」ってなったのかw うーん、なんとかして追いついて、次は「キターーーー!!」って言わせたいよなぁ。

 とかなんとか考えて気を紛らわせてはいるものの、実は僕の体もかなり限界。最後までバネのある走りをしようと、なんとかフォームを意識しているが、呼吸はゼェゼェするし、胃はおかしくなってるし、暑くて意識も朦朧。歩きこそしないものの、エイドの各駅停車。油断すればランで4時間を超えてしまう状況だ。だが、もうトライアスロンは終わって、今は得意のマラソンだ。ただのマラソン。過去何レースかの中で、苦しかった記憶を引っ張り出してみる。残りは20km弱。ペースは5分20~30。・・・うん。イケる。もっと辛い状況はあった。もっと痛い思いもした。大丈夫、キープでイケる。

 残り10kmほどの地点で、ついにリーダーを捕まえた。思った以上に失速している。「先に行ってください!今回はもう無理なんで、とにかく歩かずにゴールを目指しますんで!」と・・・。うむ、悪いが先に行くよ。ライバルを抜くというのは、有頂天になる瞬間なのだが、追うものと追われるものが入れ替わる瞬間でもある。ここから先ゴールまで、背後に怯えることになる。今はリーダーが失速していても、数分後には彼が復活して、自分が失速しているなんてことはよくある。ほぼ同じ地点に、観戦のけんけん堂がいて、「蕎麦屋と6分くらいの差だよ!」と教えてくれた。リーダーの近くに蕎麦屋もいるかと思っていたが、そんなに先に行ったのか・・・。残りの10kmを、一切失速せずに走りきれば届く・・・かもしれないというギリギリの差。が、僕の方もすでに失速し始めている。だましだまし走ってきたが、左のハムストリングが攣る頻度が上がってきた。突然左足が激痛とともに硬直して、全く動かなくなる。倒れないように両手で左足を支えつつ、歩道の縁石に足裏をゆっくりと押し付けて、ハムストリングをストレッチする。とりあえず足が動くようになったら、すぐに再発しないように、ゆっくり走り出し、少しずつ少しずつペースを上げる。これだけでかなりのタイムロスである。それでも、「また動いてくれてありがとう、左足」と思う。自分の中で、「なにがなんでも蕎麦屋に追いつけ!」という声と、「もういいだろう、リーダーに捕まらないギリギリまでペースダウンしようぜ」という声が聞こえる。そして、両方の声に、「黙っとけよ」と答えて、また走る。いいのだ。結果は結果だ。レースが終われば自ずとわかる。今向き合うべきは「今、この瞬間のベスト」だ。玉砕でも妥協でもない。

 1kmが長い。次の1kmはさらに長い。長い長い1kmを順番に、ひとつずつ踏んで、ついに陸上競技場、ゴール会場に帰ってきた。蕎麦屋の背中はついに見ることができなかった。振り返ってみたが、リーダーもまた、近くにはいないようだった。ふぅ、、のこり約300m、ライバル間の順位変動はもうあるまい。今年は応援の家族たちとゴールテープを切れそうだ。ゴール数十m手前で待っていた家族や友達は、思ったよりもだいぶ多かった。ご苦労さん。一日中応援するのも大変だったでしょ。おかげさまで、ヒーロー気分の一日を過ごせたよ。いい一日だった。死ぬかと思ったけどね。KPPは速かったなぁ、ワンランク上だな。蕎麦屋にパフェをおごるのは悔しいけど、おかげで盛り上がったし、来年返してもらえばいいや。リーダーに勝てるとは思ってなかったけど、勝負事ってそうだよね、金星いただいておくよ~。

【結果】
総合タイム 10時間38分46秒
総合167位(宮古勢5位)
スイム 1時間4分
バイク 5時間28分
ラン 4時間6分

ちなみに・・・
自分の時計では、ランのタイムは3時間59分(公認記録にはトランジッションタイムが含まれるため)、自己ベストを約30分更新。
スイム、バイクはゼロ成長のため、ラン短縮だけでベストを出した形。
うーむ・・・練習の成果というか・・・ww

ps 写真提供、濱川さま、ありがとうございました。


ベスト更新・・・そしてburnout

ども。sassyです。
遠征マラソンのレポートを書くと宣言しておいて、二週間以上も放置してしまった。期待してくれていた方には申し訳ない。

 本当は各レースの展開など、いつものように書くつもりでいたのだが、、いろいろあって、すっかりその気がなくなってしまった。燃え尽きた感が半端ないw なのでとりあえず、結果だけ報告しておこうと思う。

 3/3(遠征二日目)、篠山ABCマラソン。ベスト更新のおきなわマラソンから二週間後にして、さらにベスト更新。ネットタイムで3時間8分43秒。ようやく3時間ひと桁に届いた。が、レース展開はうまいとは言えず、前半からやや強気に攻めたせいで、後半は失速寸前、ねばってねばって、なんとかおおよそイーブンペースを保ってのゴール。ひたすら苦しかった。まぁベストはベストだ。よしとしよう。

死にかけゴール☆


丹波焼のメダルが素敵

 3/10(遠征九日目)、能登和倉万葉の里マラソン。タイムはギリギリで3時間20分を切った。かなり遅いが、レース展開はまぁまぁ。なにしろコンディションが悪い。この一週間、ストイックにレースのことだけ考えて、コンディショニングに徹していればよかったかもしれないが・・・そんな鉄の精神は持ち合わせていないし、そうしたくもない。帰省を除けば、約6年ぶりの内地旅行。しかも一人旅。レース当日、バッドコンディションになるのは必然であるw 実はこの大会、僕が8年前にフルマラソンデビューした大会でもある。あのときは5時間少々かかったから、2時間くらい短縮したわけか。レース序盤でコンディションの悪さを確信して、最後までもつペースに調整して走りきったのは、我ながら上出来。しっかりラストスパートもできたので、やりきった感は十分。

参加賞の金券で牡蠣を喰うという変わった大会。

 さて、、それでは何を燃え尽きているのかという話に少し触れてみたい。都会の喧騒に嫌気がさして、宮古島に引きこもってはや6年。家族と、宿屋と、ランニング。静かな暮らし。それにすっかり慣れたが、心を乱すものがないかといえば、たくさんあったりするw 久しぶりに都会の喧騒に自ら飛び込んで10日間過ごしてみて、どうかといえば、思ったほどには心を乱されない。走って、遊んで、飲んで、食って、また走って。刺激の種類が多少違えど、やってることは宮古と大差ないのかもしれない。昔は、都会とそこでの人々の営みを憎んだものだ。だが、すっかり毒が抜けたのか、今はあのころのようには感じない。ん?いや、一周回ってむしろ好きかもww いろいろと価値観に強い影響を受けて、いままでのノリで物事をこなすことに違和感を覚えてしまった。このブログや、アスリートとしての練習を含めて。この違和感が燃え尽きた感の正体だろうか。

 旅から帰って、家族とも合流して・・・やっぱり自分はこの島の環境が好きだ。うるさいよりは静かなのがいい。海で隔てられた、この閉じた世界が好き。無限の選択肢は必要ない。人が選べる選択肢はほんのいくつかなのだから。ピアニストに、無限の鍵盤が必要ないように。まぁ、燃え尽きたとはいえ、別にネガティブになっているわけではない。価値観の過渡期という感じだろうか。まだまだ変われるなー、自分。と思うし、変わるということは若さである、と誰かも言っていた。今までは、「ここだけが自分の居場所だ」と思っていたが、「自分はどこでもやっていけるが、動く必要性に迫られなければ、ずっとここにいよう」と思う。今までは「走ることだけが自分の快楽と娯楽だ」と思っていたが、「自分にも他人にも、様々な娯楽があるが、やっぱり走るのは最高だ」と思う。つまり、「離島の宿屋の走るオヤジ」という肩書に変わりはないw でもなんだか、世界が明るく、広く思えるようになった。たぶん。

 レースシーズンもいよいよ終盤。残すは三週間後の宮古島トライアスロンのみ。これまでさんざん放置してきた、スイムとバイクの練習が忙しい。と思いきや、ランの技術で新しい発見があったりして、それで走るのもなおさら楽しい。レースレポートを書くかどうか、今はまだわからないけれど、きっとわくわくすることがあるはず。当面、更新頻度は落ちると思うけれど、まぁもともとこういうムラのある性格なので、テキトーにお付き合いくださいませ。
ではまた。


おきなわマラソン2019

ども。sassyです。ご無沙汰しております。
おきなわマラソン走ってきたので、とりあえずレポなど。

 沖縄に詳しくない方は誤解されてる方もいるかもしれないが、那覇マラソンとはまた別の大会である。那覇マラソンは3万人規模、おきなわマラソンは1万人規模。おきなわマラソンの方は、沖縄中部(沖縄市周辺)で行われる大会で、コースが嘉手納基地を通るところがウリの一つ。米軍キャンプは法律上、アメリカである。とすれば、これは国境をまたぐマラソン大会だw 経験者の話でも、「基地内が楽しい」とのこと。楽しみである。

 前日入りして、空港からバスで会場へ行き、最終エントリーを済ませてゼッケンや記念品を受け取る。空港から結構遠い。バス代も案外かかるものだ。久しぶりに参加する1万人規模の大会、やはり熱気が違う。スポンサーの大手企業やスポーツショップがブースを構え、前日からすでに盛り上がっている。祭りだ、祭り!! 「無料テーピング!」の看板を見てふと思う。このヤクザな左足、テーピングしたら多少マシにならないだろうか。たとえマシにならなくても、悪くはなるまい。早速、1000円ほどのテープを購入して、その場で巻いてもらう。思ったよりもぐるぐる巻にされて、テープは7割くらいなくなった。「これって、もう一回やれないっすよね?」と聞いてみたら、「うーん、ちょっと足りないでしょうね。でももう一本サービスで付けときますから」と。太っ腹やなー、テーピング無料どころか、頼まなきゃ損なレベルだw ちなみにこの日は、出発前にシャワーを浴びておいて、夜はもう風呂もシャワーもしないつもり。ただでさえ慢性不眠症の僕は、夜のシャワーや風呂は覚醒度を高めるだけでメリットがないのである。だから、前日にテープングしても、特に問題なし。(後日談として、テーピングは気休め程度にはなったと思う)

 テキトーに取った民宿は当たりだった。相部屋のはずだったが、閑散期のせいか、ツインの部屋を一人で使わせてくれた。よくある、古いビルを内装だけ手直しした宿屋だが、客を楽しませるようにインテリアを工夫してあり、居心地がよい。オーナーのセンスだろうな。お金をかける代わりに知恵を絞っているのが伺える。よその宿に泊まると、同業者として刺激になるなぁ。が、居心地のよい寝室でも、やはり僕はレース前日眠れない。うつ伏せになってみたり、ケータイでクラシックをかけてみたり、ヨガのポーズをしてみたり、羊を数えてみたり・・・やっぱり眠れない。思いつく限りの、眠るための努力と、努力を忘れるための努力を試してみたがやはり眠れない。最終的に、自分の自律神経を呪い、悪態をついているうちに、多少のフテ寝をしたようだ(苦笑)。蛇足だが、不眠に関するアドバイスはご遠慮いただきたい。この苦しみは同じ病気の人間にしかわかるまい。

 さて、前置きが長くなったが、ようやくレース。今回初めて陸連登録をしたおかげで、Aゼッケン。つまり最前ブロックのスタートだ。僕にとってはオーバーペースでスタートするに違いないので、Bブロックに近い位置に陣取る。見渡してみると、僕を含めて青のAゼッケンと、白のAゼッケンがいる。多分、陸連登録者が青、非登録だが申告タイムがかなり速い選手が白、なのだと思う。陸連登録は、年会費1500円程度を払えば走力に関係なく誰でも可能。マラソンでの登録メリットは、上位ブロックからのスタート権と、タイムの「公認」。エリート向けの大会などでは、「公認タイム何分以内」などという参加制限を設けている場合が多いので、ガチでマラソンをやるなら登録しておいて損はない。とにかく、こんなに前の方でスタートするのは初めてなので、少々緊張する。

 号砲とともにスタート。気温は20度弱、曇り空で、やや肌寒い。マラソン日よりだ。Aブロックだけあって、最初から渋滞がない。最初1kmほどをアップに当てて、巡航ペースに。左足の爆弾が一番の気がかりだ。1時間前にロキソニンを飲んだが、走り出してみるとやはり痛い。痛み止めがあまり効かないというのも、コレが変な怪我である証拠だと思う。しかし、気にしすぎるとフォームが乱れるので、一旦忘れる。「左足が痛いって?俺は生まれつきこうさ。この足で10年近く走ってきたぞ。忘れたのか?」というふうに自己暗示をかけるw

 おきなわマラソンはアップダウンが結構キツい、と聞いていたが、とりあえず平坦だ。ペースも4分30秒台で安定している。10km地点あたりから少しペースアップ、30km地点あたりでさらに上げて全力走に、というのが僕のフルでの作戦。勝ちパターンと言ってもいい。僕にとっては意外なのだが、3時間前半を狙うレベルでも、「前半で貯金を作る」という考えの選手が驚くほど多い。その誤った作戦を見直すだけでも、もっと結果が出るだろうに。貯金すべきはタイムではない。体力だ。後半で失速する走り方は、前半のタイム貯金を全部吐き出して、さらに大赤字になる。100kmではまだ研究中だが、フルではたぶん間違いない。最初の10kmは我慢だ。精神的にはkの10kmが一番しんどい。どんどん抜かれることはすぐに慣れるが、「今、必要十分なガマンができているか、終盤上げられるだけの体力を貯金しているか」という思考が悩ましい。当然だが、ビビってセーブしすぎては、後半でそのタイムロスを回収しきれなくなる。Gのゼッケンをつけた、10代と見られる選手がすごいスピードで駆け抜けていく。よくまぁ後方ブロックからここまで、この短時間で・・・。死ぬぞ、オイ。高校のユニフォームを着ていることからしても、マラソンデビューの陸上部とかだろう。陸上部にとって、マラソンペースは遅すぎる。ついつい、自分の体力とスピードに酔いしれてしまうのだろうが・・2時間もすれば、超長距離の洗礼を受けることになるんだろうな。本当の天才でない限りは。

 10kmを過ぎて、ギアを一段上げる。よし、問題ない。このペースで十分巡航可能だろう。心のつっかえが一つ解消。だが、コースはいよいよアップダウンが始まる。高低差30m以上の坂が断続的にやってくる。当然だが、平地と同じペースで坂を登れば、それは平地でのペースアップに等しく、レース戦略がメチャメチャになってしまう。では、坂でペースを落とすのが当然として、目の前にあるこの坂ではどのくらい落とすのが、「平地だったら一定ペース」に相当するのだろうか。それに答えてくれるのが「パワーメーター」だ。原理は僕もよく知らないが、ランニングの「出力」をW(ワット)で評価して、時計に出力してくれる。同じスピードでも、上りだと数字が大きくなるし、下りだと小さくなる。パワーメーターの詳細を語ると、それだけで数千文字になるので、今回は残念ながら自粛するw ともかく、今まではスピードベースで立てていたレース戦略を、今回はパワーベースにしてみたのだ。1kmごとのラップタイムは自動的に時計に表示されるが、それ以外は、直近10秒平均のパワーが表示されている。この数値を、一定の範囲内に収めるように走る。戦略的にペースアップする際には、その範囲を一段階上げる、というわけだ。結果的に、この作戦はなかなか良かった。上り坂、特に前半で体力を温存したいときに、ペースへの不安がとても小さくなる。思った以上に、上りは抑えないといけないらしい。逆に下りでは、想定するパワーゾーンで走るとかなりのスピードになり、着地衝撃がキツい。もっとデータを集めていろいろ検討したい。ああ。至福のデータ検証・・・w

 21kmを過ぎ、残りは半分。少し気分が軽くなる。というのも、今シーズン、まともに走りきれたのがこのくらいの距離だから。フルマラソン、ウルトラマラソンは、もれなく潰れている。勝負事では、勝ちが勝ちを呼ぶという側面がある。勝つために強くなるというのとはちょっと違って、勝ったからこそ、さらに強くなるというか。成功体験が、自分自身と競技に対するポジティブな意識を作り出し、練習へのモチベーションをアップさせ、大きな負荷にも耐えられるようになる。その結果、さらに勝利を収め、好循環が生まれて勝ちまくる。今回、走りながら、その逆もまたあることがよくわかった。自分がどれほど競技に臆病になっていたか。好循環があるなら、悪循環もあるのだ。負けは負けを呼ぶ。うむ。理解した。このレースで最も重要なことは、ブッチギリのタイムを叩き出すことではない。自己ベストをちょっとだけ更新して、「良いレースができた」と振り返ることだ。きっとそれが悪循環を断ち切る。ブッチギリは、好循環の波に乗ったときだ。今するべきは、計画通りにパワーゾーンを守り、終盤で順位を上げて、「ナイスレース」に持ち込むこと。

 30km手前で、いよいよコースは嘉手納基地へ。レースと自分のことで精神的にいっぱいいっぱいだったのところに、ワクワク感が。基地内は、なるほど、アメリカだ!日本人ボランティアもいるが、ほとんどは米軍関係者とその家族のようだ。応援の熱はかなり高い。前から興味があったのが、「マラソンの応援で、日本と外国にはどんな違いがあるのか」ということ。体験してみて、誤解を恐れずに率直に言うと、アメリカ人の応援には、奇声、嬌声が多いということ。KYYYAAAHHHHH!!!! GOGOGOGOGO!!! WHOAAAAHHHHOOO!!! YAAAHHHOOOOO!!! みたいなw トーンも1オクターブ高い気がする。実に面白い。僕の勝手な解釈だが、日本人はやや頭でっかちで人目を気にするため、無意味なことを叫ぶのが苦手、アメリカ人は、ノリと勢いで感情を爆発させるのが得意、ということかもしれない。なんにせよ、あの異国情緒は実に楽しい。白人のちっちゃな女の子たちが、沖縄民族衣装を着て応援しているのには、思わず顔がほころぶ。いかつい黒人の若者たちが、「USA!!USA!!(ダパンプ)」を連呼していたのは吹いた。国籍だ民族だ歴史だ、と、いがみあうのは実にくだらないな。人対人であれば、初対面で赤の他人で軍人であっても、こんなに気持ちのいい感情を持てるのに。いい感じに気持ちがリラックスしたところで、いよいよ、次のギアアップだ。

 30kmからはもう時計を気にしない。時計は、主にペースを抑えるためのツールだから、ここからはあまり必要ない。経験上、「これならギリギリ持つ」というペースは10km程度持つものだ。足の力を抜いて、膝から下は羽のように軽く、勝手に動いているイメージをする。重心を、ほんの気持ち前に出して、安定する場所を探す。自己暗示の仕上げは、映画マトリックスのセリフ、”Dont think you are. Know you are.”(映画での訳:速く動こうと思うな、速いと知れ)。
抜きつ抜かれつして顔を覚えた選手たちが、一人ずつ後方へ消えていく。僕の記憶では、ここから先、誰一人にも抜かれなかった。上り坂も攻める。下りはもっと攻める。左足の踵がパンクしそうだが、大丈夫、10km程度は耐えるはずだ。足は痛いし、当然呼吸も苦しい。意識にはうっすらと霧がかかったようになってくる。でも、気持ちは晴れやかだ。このレースは成功だ。ここから潰れることは多分もうない。あとはただただ、体力と気力を振り絞ればよい。恐れるものはない。肉体的なしんどさなど、失敗レースへの恐怖に比べればたいしたことではないらしい。

 前半でぶっ飛ばしていいったGゼッケンの若者がズルズルと後方に落ちていく。快調に飛ばしていたかと思えば、突然立ち止まって、ストレッチを始める選手がいる。中盤からペースメーカーにしていた、ショートカットの女性選手も後方に消えた。(オトコどもは、美人ランナーと思われる選手をペースメーカーにしたがるものだ。後ろ姿しか見えないわけだが)。この、3時間台前半の速度域で、自分が一番速く走っているという満足感。一人抜いては、よし次はアイツだ、と狙いを定めて距離を詰めていく感覚。アドレナリンが全身を駆け巡り、苦痛を中和していく。最も苦しく、最も甘美なこの瞬間・・・そうだった、これを追体験したくて、レースに出るのだ。だからさらに上を目指すのだ。早く終わってほしいが、ずっと続いてほしい。いよいよラストの1km、最後の仕上だ。ラストスパート。ここでスパートをかけても表彰台に届くわけもないし、タイムだって10秒くらいしか変わらない。だが、ここがクライマックスなのだ。絶頂なのだ。ラスト1kmは死ぬ気で走る。この1kmにおいては、成功も失敗もない。ただ、美学と自己満足と・・・あるいは狂気のために。競技場に入ってからの300mはまるでスローモーションだった。いったいこのトラックはどこまで続くのだろうか。僕と等速で、ゴールが遠ざかっているのではないだろうか。いやむしろ僕が止まっているのか。いやいや、トラックに入ってからもさらに一人抜いたのだから、進んでいるだろう・・・。そんな至福のひとときも終わり、ついにフィニッシュ。あー、やりきったぞ。

 タイムは3時間13分。約1万人中、143位。意識していた、3時間ヒトケタには届かなかったが、坂がなければ届いていた計算だからヨシとしよう。自己ベストも更新できた。レースの快感も、感触として思い出した。今シーズンはいよいよ大詰め。次の3週間で、フルマラソンを二本、翌月にトライアスロンが控えている。今シーズン前半の負けを挽回するぞ! 
・・・あー、でもテンション上げすぎてまた怪我するのはイヤだから、確定申告のことでも思い出して水を指しておくことにしよw


次のマイブームは自律神経

ども。sassyです。
今日は久しぶりにランニングに出た。足や心臓に過度の負担をかけないよう、慎重にゆっくり走り出し、温まってきたら一番気持ちよく走れるペースまで上げ、調子が良かったので、ラスト1kmは全力で走ってみた。あー、やっぱ気持ちいいわ。休養のためとはいえ、走らない生活は、イチゴのないショートケーキみたいだ。

 さて、喫緊の課題はコンディショニングであると結論づけたわけだが、勝負レースで毎回ベストコンディションを作るためには、自分だけのコンディショニング理論を構築して、ルーチン化しなければならない。そうしないと、いつまでも出たとこ勝負で不安定なままだと思う。理系で情報オタクの僕は、この一週間をそのための情報収集に費やし、おおよその青写真が出来上がった。あとはこれを実践しながら、フィードバック、調整を加えていく。3週間後のおきなわマラソン、走力アップは一度保留して(すでにアホみたいにやってきたし)、コンディショニングに集中してみたいと思う。

 少し具体的な話・・・だが、専門的になると、誰も読んでくれないと思う(マナなんかは、毎回、あーー、はいはい、がんばって、みたいにスルーするのが日常)ので、さらっと表面的に。
コンディショニングといっても多岐に渡るわけだが、肝心要は「自律神経の調整」であると思う。特にマラソンにおいては。自律神経は、体温、心拍数、呼吸、発汗、さらにはテンションの浮き沈みまで支配している。前回のレースは、様々な要因で破綻したが、最初のトリガーが大量発汗だったと思う。大量発汗→脱水・低ナトリウム→消化能力を超えた補給による胃の失調、筋肉の痙攣と引き攣り・・・などなど。発汗異常というのはまさに自律神経の不調と考えてよさそうである。ちなみに、自律神経の中枢は間脳であり、筋肉のように鍛えることはできない。やさしくいたわるのみw

 マラソンランナーとしてのアプローチは二通りだ。回復力を高めるか、負担を減らすか。当然、両方からアプローチしたい。回復力を高める方は、ネットに山程情報があるので、興味のある方はテキトーにググっていただきたい。ストレッチだとかヨガだとか姿勢だとか安眠のためのあれこれだとか・・・。負担を減らす方は、手っ取り早く、練習量を減らそうと思う。距離稼ぎのようなJOGをバッサリ切る。ちょっと切ないけど。ランナーの多くは、「今月は何キロ走った」みたいなデータに、どうしても自己満足を覚えてしまう。もちろん僕も。最初のうちは、距離を伸ばすことをがんばり、比例してパフォーマンスも上がるのだが、あるときから、走行距離とパフォーマンスは比例しなくなる。そのころには、距離を減らす方に努力が必要な状態になっていたりする。油断していると無駄に走ってしまうような。
とりあえず、距離を月間300kmくらいまで抑えて、空いた時間をヨガや筋トレに回してみよう。うん、サラッと書くつもりが案外長くなってしまった。
ではまた。


確変の前兆?

ども。sassy@元ギャンブル依存症です。

 例の歴史的大敗から数日。がっくり落ち込むかと思いきや、案外、、いや、案外どころか、かなりハイテンションなここ数日。もちろん、悔しいんだけど、それ以上に晴れ晴れとした気分というか。憑き物が落ちたというか。今はもう、3週間後のおきなわマラソンの楽しみでウキウキ♪

 この展開、なんか覚えがある・・・と思い出したのが2年前のTOFR。非常に力を入れていた勝負レースだったのに、直前1ヶ月くらいでテンションが急降下、なんだか鬱々とした気分でレースに臨み、当然散々な展開、それでも最後の最後で覚醒して、そこまでの不覚を(気分的には)吹き飛ばして終了。1ヶ月後のトライアスロンは悪くない走り、その後の半年の猛練習で、翌シーズンは大躍進・・・という流れだった。なんだろう、あのときと今では、アスリートとしてのステージも違うし、求められるものも違うのだが、「大敗レースの後の奇妙な全能感」というのが似ている。そう、自分は(何にか知らないが)負けて良かった。あの大敗が、次のステージへの扉を開いた。という感覚。

 けんけん堂に今回の負け分を支払ってきた。ブルーシールのパフェとコーヒーで800円くらい。ちなみに、レースの参加費が15000円、トレーニング期間が1年w 長髪のオッサンふたり、南国のアイスクリーム専門店で向かい合ってスイーツを喰らう。僕の中で、この時期の奇妙な風物詩となっている。彼は口数が少ないので、8割くらい僕がしゃべっている。マラソンへの取り組み方も違う。彼はスピード追求をしないらしい。僕は自分に足りないものがスピードだと思って以来、ゴリゴリとインターバルや坂ダッシュを走る。そしてレース前、もうけんけん堂に負けるはずがない、と思ったりするが、そう思った年に限ってボコボコに負ける。今年も然り。そしていい加減学んだ。何年も続くライバル関係というのはそれなりの理由があるわけで、敵を侮った瞬間、何かを見落としているのだ。負けるはずがない、と思った瞬間、負ける理由を見失っているのだ。「死神はどこか遠くにいるのではない。あなたの肩の後ろにいる」と言ったのは誰だったか忘れたが、いつでも僕の肩の後ろにはけんけん堂がいると思わねばなるまい。僕が弱った瞬間・・・トントン、お先にね。と、くるわけだ。

 ウルトラマラソンは、競技人口がどんどん増えているらしいが、それでもまだまだマイナー競技であるのは確かだ。トレーニング法もレースの組み立ても、まだ確立されていないように思う。何をしたら勝てるかわからない、逆に言えば、自由に取り組んで良い。そこが魅力でもあるわけだ。僕のスタイルで言うと、自分のボトルネックとなっている要素を探し、研究し、「これだ」というテーマが見つかれば、猪突猛進に追求する。それがツボにハマれば翌シーズンは大躍進で、前年よりも1時間以上のタイム更新てのもザラである。逆に、安定感は皆無。大勝か惨敗。ああ。そういえば博打打ちとしてもそうだった。麻雀はずいぶんやりこんだが、熟練者でも、僕がノっているときは止められなかったものだ。不調時は初心者にも負けるわけだが。そして、そんな自分のスタイルが嫌いじゃないw

 例のレースの日は、僕の誕生日でもあった。ついに40の大台に乗った。不惑、か。年の功か、最近自分でも、目に見える物事の薄皮一枚向こう側を見て考えるようになった実感はある。猪突猛進は変わらないが、矛先がわずかに変わった気がする。今回の大敗は、契機になるような気がする。来シーズン、早ければ今シーズンの末にでも結果になってくれるかもしれない。ウルトラでもトライアスロンでも、40台前半はアマチュア最強エイジである。「ぬぉぉおおおお!!!やるぞーーーー!!!」などと気張らず、静かにそっと確実に進もうではないか。オヤジらしく、でも猪のように。

ではまた。


いつか、どこかの100kmマラソン

プロローグ

 彼は歩道のアスファルトに寝転んでいた。泣き出しそうな曇り空を眺めて、静かに思う。やれやれ、にっちもさっちもいかぬことになってしまったな。空を眺める視界の隅では、彼の3歳になる末娘、マーシーが心配そうにこちらを覗き込んでいる。彼はすでに敗北を受け入れていた。同時に今、もうひとつのレースがスタートしたこともわかっていた。さぁ、第二ラウンド、地獄の進軍がはじまる。彼は腹筋の痙攣に顔をしかめつつ、体を起こすのであった。

CH.1 号砲

 M島100kmマラソンの号砲が鳴ったのは、午前5時であった。風光明媚な観光地として知られる当市も、今はまだ闇に包まれ、静かな海鳴りが響くのみである。このマラソンは、M島をぐるりと一周し、14時間を制限にスタート会場にもどってくる。100kmマラソンと謳っているが、距離の足底が比較的曖昧で、年によって100kmだったり、102kmだったりする。彼の知る限り、100km未満だったことはない。彼にとっては今年で7度目の挑戦だった。最初の年は完走できなかった。60kmあたりで完全に脚が動かなくなり、「無理ゲー、無理ゲー」と呪詛を呟きながら80kmまで粘り、ついに折れた。翌年は出走せず、翌々年、ついに念願の完走を果たした。13時間以上を費やしたが、人生の一大事業を成し遂げたような達成感、陶酔感に酔いしれた。その後は毎年出走し、完走を続けている。昨年にはついに9時間台をマークし、地元一位の称号を得るに至った。当然今回も、その称号を防衛しつつ、ベストタイムを更新するつもりだった。それが当然だと思っていた。
 マラソン大会というのは大抵、テンションの高ぶった選手たちが、号砲と同時に、実力に不相応なスピードで突っ込んでいくものだ。序盤でのオーバーペースは、後半での大失速につながることを彼は十分承知していた。人間魚雷についていってはいけない。綿密に試算した設定ペース、作戦を守ることが大切であった。最初2kmをウォーミングアップ、次の2kmをフォームとペースの安定化に使って、そこから予定の巡航ペースに乗るつもりだった。作戦通りにいけば、トータルで8時間半、地元勢の記録更新を狙えるはずだった。

CH.2 予兆

 彼は友人のKKDと無言で並走していた。 KKDの蛍光オレンジのトップスが眩しい。KKDは彼にとって、どうしても負けたくない相手だった。珍しい趣味を共有する仲間であると同時に、レースにおいては、歯ぎしりするような敵でもあった。彼はKKDに対して、スピードで負ける気はしなかった。KKDの持ち味は圧倒的な安定感であり、彼のレース運びが上手く行かず、失速したときにKKDにつかまるというのが、負けるときのパターンであった。案の定、KKDは彼の序盤のペースに無理について来る気はなかったらしく、徐々に後退し、気配は消えた。彼は知っている。怖いのはこれからだ。一度開いたKKDとの距離が縮まり始めたときが、破綻への序曲なのだ。
 今、彼より前を走っている選手は30人くらいだろうか。50人はいまい。参加者が600人くらいなので、いい位置で走っているとも言えるが、オーバーペースのリスクも高い。このペースを最後まで維持できる選手は、片手で足りる程度だろう。当然彼は、その片手に入るつもりでいた。闇の中、ランナーたちの息遣いとさまざまなピッチの足音、月明かりを感じながら思う。今の自分は、なんて美しく走っているのだろう。昨年の夏からずっと取り組んできたフォーム改善は、ついに完成の域に至ったと感じた。全身が狂いなく連動し、着地衝撃がスムーズに次の跳躍の推進力に変わっていくのを感じる。まるでネコ科の動物になったような気分だった。だが、その陶酔感とは裏腹に、奇妙な違和感も覚え始める。妙に喉が渇く。お尻のあたりに触れてみると、すでにウェアが汗で重くなっている。走行距離はまだ5kmに満たず、ランニングに最適とも思える気温であるにもかかわらず。だが、のどの乾きや発汗量というのは、意思で制御できる事象ではない。走る喜びを堪能しつつも、一抹の不安を抱えながら、彼は闇の中を走り続ける。

CH.3 明らかな違和感へ

 片道4kmの長大な橋が、二度目の折返しポイントだ。まだ暗い往路でトップ選手とすれ違う。すでに2位とは圧倒的な差をつけている。そして、彼が復路にさしかかるころ、東の空が白み始めた。折返しポイントというのは、後続選手たちの様子を探るのにちょうどよい。KKDの蛍光オレンジのシャツはすぐに目についた。ざっくり、1kmくらいの距離だろうか。時間にすれば約5分。ほぼ計算どおりである。すれ違いざま、目線を交わす。お互い、負けねーぞ、というオーラをぶつけ合っているようでもある。彼は思う。次の折返しポイントまで20km弱。そこで距離差が2kmに開いていれば、勝算は大きい。もしも1kmのままなら、かなり危険、縮んでいたら配色濃厚というところだ。
 この往復8kmの橋のエリアは、速く走っても遅く走っても景色の変化がなく、大型船を通過させるための大きなアップダウンもある。メンタル的な負担の大きいエリアだ。まだまだ序盤のここで、体力はもちろん、精神を消耗するのもアウトだ。彼もそれは承知で、焦らず、息を乱さぬよう、淡々と坂を越えてゆく。
 橋を渡りを終え、市街地を走りながら彼は思う。この大会も、ずいぶんとえげつなく運営コストを削ったものだ。わかりにくいコーナー、信号だらけの大通りにも、走路員がいない。仮設トイレがひとつもない。エイドステーションも激減した。参加費は同じ、参加者も同じくらいなのに、浮いたオカネをどうしたというのだろう。その苛立ちを客観視しながら、自分の精神状態も不安定なことに気づいた。不正横領邪悪に対して憤ることと、アスリートとして平常心を失うことは別の話だ。自分の中で、なにか良くないことが起きているのかもしれない。エイドステーションでは毎回、スポーツドリンクをコップ二杯と、食べ物があるところではオレンジを何切れか詰め込んできた。脱水が怖いので仕方ないのだが、このペースで給水を続ければ、胃に深刻なダメージを受ける可能性が高い。さらに、発汗過多で多量のミネラルを失えば、筋肉の痙攣を誘発する。小さかった不安は、徐々に危機感に変わりつつある。

CH.4 ステージ2へ

 50kmを過ぎた。まだまだ、フルマラソン1本分の距離が残っている。長い上り坂を越え、ふらふとたどり着いたエイドステーションに、末娘のマーシーがいた。所用で午前中忙しい彼の妻の代わりに、友人の女性がマーシーを連れて応援に来てくれたのだ。マーシーはいつも家族のようにかわいがってくれる彼女を「おかーたん」と呼ぶ。彼は思わぬところで二人の姿を認めて、一瞬目を疑ったが、なんとか苦悶の表情から笑顔を作る努力をした。エイドでスポーツドリンクを飲んだ直後、いよいよ胸焼けに耐えきれなくなり、裏道に入って二度嘔吐した。黄色い嫌な匂いのする液体に、オレンジの薄皮がいくつか混ざっていた。胃を空けたら少しだけ気持ちがラクになった。ああ。負けたな・・・。
 ここに到達する前の折返しポイントで、KKDとの距離は約1kmのままだった。遠目にオレンジ色の光点を見たとき、それがKKDでないこと願ったが、虚しいことだった。実際、彼がKKDに抜かれるまでに、時間はかからなかった。彼のレースは終わった。
 ウルトラマラソンは、第一義的には、他の陸上競技と同様、ゴールタイムを競うスピードレースである。だが、そういう意味でウルトラを走りきれる選手は、参加者のうちの数%だ。多くの選手達は、ウルトラマラソンの第二義的側面である、サバイバルゲームに参戦することになる。即ち、脚がイカれ、胃を壊し、心が折れるか折れぬかのギリギリのところで踏みとどまりつつ、制限時間内にゴールを目指すということだ。
 彼はマーシーとおかーたんに挨拶をして走り出そうとするが、突如腹筋の痙攣に襲われ、立ち止まる。背中を反らせて腹筋を伸ばそうとすると、次に背筋が痙攣する。仕方なく座り込もうとすると、今度は太ももが痙攣し、膝が曲がらない。四苦八苦して腰を下ろしたが、お腹の薄い皮膚の下に、ゴルフボールのような物体がうごめいている。顔をしかめてそれをマッサージして、なんとか鎮めるが、次の瞬間には別の場所にゴルフボールが出現する。彼は諦めて、寝転がる。やれやれ、にっちもさっちもいかねぇな。よく見れば、肘やふくらはぎで、大量の塩が結晶化している。多量の汗の水分が乾き、塩分だけがそうやって残ったようだ。これなら痙攣が起きないほうがおかしい。内心、苦笑いする。
 しかし、彼は自分でも意外なほど、絶望してはいなかった。初期の違和感からして、この状況はありうることだったからだ。とにかく今大切なことは、気持ちを折らずに前に出ることである。レースは終わった。さぁ、サバイバルの始まりだ。初心に帰るというのがふさわしかった。彼が長距離種目に挑戦し始めた頃、それはいつもサバイバルだった。自分が限界と呼んでいた壁の向こう側に到達すること。壁の向こうにはまた壁があるが、それもまた乗り越えられること。そうして少しずつ自分の世界が広がっていくことに喜びを感じていた。今回、思わぬところで壁にぶつかってしまったが、それを乗り越える喜びを忘れてはいなかった。

CH.5 犯人探し

 筋肉は騙せる。もう少し難しいが、胃も騙せる。痙攣や筋肉痛、吐き気と折り合いをつけながら走ることは、ウルトラの世界では必要なスキルだ。彼にとってもっともガマンできないことは、「代謝系の異常」であった。自律神経のトラブルと言ってもよい。超低速で走っても、あるいは歩いているだけでも、酸欠状態のように息が上がる。涼しいのに大量発汗したり、逆に突然、低体温症になったりする。低体温症は最悪中の最悪で、リアルに生命の危機を感じる。低体温症だけはなんとしても避けねばならない。
 彼は、時に走り、時に歩きながら考える。彼は典型的理系タイプの人間で、脳内はいつも文字の驟雨にさらされていた。夢中で走っているときだけが、文字を忘れられる瞬間だったのだが、今回のようにボロボロになってしまっては、それもかなわない。仕方がないので考える。なぜこうなってしまったのだろう。
 レース計画は問題なかった。ペース設定も、十分な練習データから、危険値を考慮した上で算出し、しかもレース本番でも、それに執着することなく、必要に応じて目標を下方修正した。天候も問題なかった。装備も問題なかった。エイドが減ったのは面白くなかったが、致命的ではなかった。練習量については、完璧だとすら思った。そして、ようやくレース序盤の、大量発汗に思い当たった。そうだ。最初から悪かったのだ。つまり、この現状は、スタート前に約束されていたわけだ。彼は愚かにも、バッドコンディションでレースに臨み、しかも潰れるまでそれに気づかなかったというわけだ。
 計算上、まだまだ5~6時間を路上で過ごさなければならない彼は、さらに考える。これは典型的な失敗レースのパターン。快走できなかったレースの多くは、大なり小なりこのパターンだ。この負けパターンを克服することこそ、競技者として最優先課題なのではないだろうか。そこでふと、彼が何年も前に、憧れだった先輩アスリートから聞いた言葉を思い出した。
「俺は大して速いわけじゃないよ、コンディショニングが上手いだけさ」
彼は自分なりに一生懸命走り続けているが、明らかに不格好にフォームが乱れたオジサンランナーが彼を抜いていく。歯ぎしりをしながらも、彼は「犯人」の見当がついたことに満足していた。コンディショニング。なぜもっと早く気づかなかったのだろう。

 CH.6 ゴール

 その先は、定番のサバイバルゲームだった。残りの距離を数えては、数えてはいけないと自分に言い聞かせ、もう無理だと思っては、歩いたり座ったり寝転んだりして、体が冷えて低体温症に襲われる前に動き出せと自分を鼓舞し・・・。着地の衝撃を逃がすように、苦痛と苦悩に正面からぶつからないように、ゆっくり少しずつ確実に残りの距離を削っていく作業。痙攣も吐き気も襲ってくるが、最初のときよりは軽くなった。サバイバルをサバイバルとして受け止める以上、彼にはそれなりの自信はあった。一度も、ゴールを疑いはしなかった。
 耐え難きに耐え、ついに残り1kmの標識を確認したとき、彼は最後のリミッターを解除した。余力を持ってゴールゲートをくぐることだけは、許せなかった。「限界」は自分が設定しているだけである。残り1kmならば、瀕死の状態からでも全力疾走する自信があったし、ゴールしてからなら動けなくなっても構わなかった。コツはもう知っている。脳の奥の方にある、黄色と黒のシマシマで縁取られた箱に入った、赤いボタンを押すだけだ。その瞬間、その後の数分間、彼の肉体はスタート前のフレッシュな状態だった。レース全体を通して最速の、キロ4分半ペースで疾走した。数分前に彼を抜いていった選手たちを、ごぼう抜きにして爆走する。ゴールゲートから会場アナウンスが聞こえてくるが、何を言っているかよくわからない。昨年はここで、「地元一位の選手が帰ってきました!」というアナウンスに酔いしれたのだが。結局彼は、ペースを落とすことなく、むしろさらに上げながら、ゴールテープを突き抜けて、そのままアスファルトに倒れ込んだ。ラスト1kmにおいてはじめて、彼は自分を勝者だと思った。

(完)

※当作品はフィクションです。実際の人物、団体とは関わりありません。

おまけ

ゼッケンの裏にロキソニンを仕込んでいたそうですw