ども。sassyです。

こんなレース前日、一番ナーヴァスなタイミングで、ブログなど書くつもりはなかったのだが、素敵なファンレターをいただいて気が変わった。
「100kmとか走る変わった人の、レース直前の苦悩煩悩懊悩を文字にしてクダサイ( ゚∀ ゚)」
なるほど。それは試みたことがない。どうせ毎度のこと、このタイミングではろくな思考が浮かんでくるはずがないし、眠ることもできないのだ。いい気晴らしになるかもしれない。
この、興奮と無力感が数分おきにやってくる状態で、脳内に去来する有象無象の思考を文章化すれば、おそらくそれは狂気じみた文字列になるだろう。だが、吉田兼好がそう宣言して書き出した徒然草は、文学として後世に残っているわけで、試してみる価値はあるのかもしれぬ。

7:30 起床

今朝まで、宿にはゲストさんが泊まっている。朝食の支度はマナが担当するので、僕はテーブルセットや配膳に間に合うように起きる(前夜の後片付けとトレードオフという取り決めなので)。例の足底筋膜炎にやられたのが9月末ごろだったか、それ以来、寝起きに踏み出す第一歩は希望と不安の挑戦だ。そしてその希望は毎回打ち砕かれることになっている。左の踵に体重を預けた瞬間の激痛。ああ。やっぱりか。この踵で100kmに臨むのは避けられそうもないな。

僕は基本的に朝が弱い。ゲストさんがいないときには、7時台に起きるのが困難だ。体に血が巡っていない感じがする。とりあえず体重計に乗ってみる。63.3kg。レースは62kgくらいで臨みたいので、少々オーバーだ。が、まぁどうでもよい。フルマラソン程度ならともかく、100kmにおいては前半50kmを準備運動くらいに考えなくてはならない。30kmも走れば、体重は1~2kg減ってるだろ。実を言うと、今週に入ってから一度も体重計には乗らなかった。一喜一憂するのがイヤだったからだ。1週間前に自分なりの基準値をクリアしていればいいや、と、最近はそう考えるようになった。心拍数は取り忘れた。まったく、抜けている。だがまぁ、今日の感じなら、42~46の間くらいだろう。体温も測っていないが、36~36.5だと思う。実際に測定するのは、確認作業に過ぎない。

8:30 口論

どうでもよいことでマナと口論する。反論と言い訳を左脳が自動構築していくのを俯瞰しながら、「この10年でずいぶん幼くなったなぁ」としみじみつぶやいている自分がいる。そう、10年くらい前、30歳前後のころが、僕の「理性的人間」「社会的精神」としてのピークだったと思う。何事もポジティブに捉え、負の感情を排除し、他人の不手際や偶然の産物すら、自分の責任として背負う。日々、「理想の自分」と「現実の自分」のギャップを埋めていく作業に余念がない。たぶん、そういう自分に酔っていたんだな。なるべくして、あるときに破綻した。本能を否定し、理性を打ち立てたことが人間の苦悩の始まりである・・・とか、ニーチェが言ってたっけ。理性と本能を共存させながら、綱渡りしていくのが人間である。理性を否定すれば獣に成り下がるし、本能を否定してしまえばロボットだ。

今でも時々思い出す。例の30歳前後のころ、経営者の集いで見かけた面々の薄気味悪さ(自分もその一人だったわけだが)。常に笑っている口元。決して笑わない目元。ふとした言動に垣間見る狡猾さ。ああ。二度と付き合いたくないな。

結局はあるがままでよいのだ。理想の自分などといった幻想は、できるだけ早く、ゴミ箱に捨ててしまうのがよい。獣は獣としてあれば美しいし、人間は人間として、くだらないことに一喜一憂し、煩悩に振り回されながらも懸命に綱渡りをしていけばそれで美しいのだ。

9:00 朝食

ましろと朝食を食べる。朝のコーヒーが大好きなので、どうしても洋食になる。ゴハンとコーヒーはどうもミスマッチに思うので。いつもはトーストだが、今日はいただきもののチーズケーキがあったので、美味しくいただいた。トーストも食べたかったが、体重計に乗ってしまったがために食欲が失せた。なんだ、やっぱり気にしてるぢゃんか。

ましろがうれしそうにチョコパンをかじるのを眺めながらしみじみと思う。こいつ、かわいいよなー。もちろん、上のふたりの娘たちも同じくらいかわいいと思う。そして次の瞬間、なぜ自分は、「かわいい娘たちと一緒に過ごす限られた時間」に満足し、没入しきれないのだろうかと思う。そこに、人生観とか勝負とか、そういうものを持ち込まずにはいられないものだろうか。自分は40を目前にして、未だにないものねだりを続けているのだろうか。うむ。そうかもしれない。だが、「ないものねだりをやめろ」というのも、自己否定の一種であり、理想の自分を追うことであり、即ち、ないものねだりなのだ。これが自分だ。幼稚かもしれぬが、そういう人生だ。シェークスピアの言うように、人生が舞台だとするならば、この面倒くさい自分という役を、せいぜい演じきろうではないか。

10:00 雑務

チェックアウトしたゲストさんを見送ったら、月曜日のためにルームメイクをせねばならない。レース翌日は、心身ともにゾンビのようになっているはずなので、やれることを先にやっておくのが賢明だ。月曜日は大人9名様の貸し切り。3部屋を掃除して、上下18枚の布団にシーツをかけるのは、ちょっとした重労働だ。が、やり始めてしまえば、苦にはならない。単調作業というのも嫌いではない。例えば、布団にシーツをかけるというだけの作業にも、「動きの美しさ」を求めることができる。人それぞれの好みによるだろうが、僕の場合は、「最短の手数で、合格ラインの美しさ」がモットーだ。リネン庫と客室の往復数、布団を裏返す回数、掃除機のコンセントを差し替える回数などを最小にしつつ、一定以上のクオリティをキープする。詰将棋みたいだな。新しい手順を発見すると、うきうきする。

こういう雑務や、家事全般は、ナーヴァスになっているときにはいいものだ。自分は今、必要なことをしている、という感覚が、気持ちを落ち着かせてくれる。

12:00 長女

いつの間にか、みぃが帰宅していた。今日は、来週の小学生駅伝に向けて、練習会があったようだ。先日、校内持久走大会(1.5km)を走る姿を見たが、あの運動嫌いのみぃが、ずいぶんたくましくなったと思う。まだまだ荒削りではあるが、フォームもなかなか様になっているではないか。いつの日か、一緒にトラックでタイムを競ったり、マラソン大会に出たりする日がくるのだろうか。うん。それはもちろん悪くない話だが、できるだけ、子供に価値観の押し売りはしないような親でありたい。ま、陸上はともかくとして、マリオカートではすでに互角。まだしばらくはオヤジの意地を見せたい。僕ら世代の親に多いと思うが、うちも例外なく、彼らはファミコンを諸悪の根源のように思っていた。その目を盗んでプレイするゲームは、蜜の味であったw その親世代は結局、世界のIT化の波に飲まれ、使えないくせに偉そうなロートルというレッテルを貼られている。新しい世代の遊びには、無理しない程度に付き合っていけるオヤジでありたいものだ。

13:00 昼食

マナが唐揚げを作った。先程口論したことをもう忘れたかのような、華麗な身のこなしだ。内心どう思っているのか、15年も付き合っていて未だによくわからないが、僕も見習うべきところだとは思う。それを娘たちとギャーギャーいいながら食べる。ゴハンは冷凍米。仕事柄、ゲストさんたちに炊きたてを用意するため、残っていたゴハンを冷凍する。それがこういうときに食卓に出る次第だ。ん?全く不満はない。僕にとって不満なのは、まだ十分食べられるものを捨てることであり、こうして上手に使い回すことは、むしろ満足なのである。それにしても、ましろはマヨネーズを使いすぎだ。唐揚げにマヨネーズをつけるのではなく、唐揚げにつけたマヨネーズをしゃぶっているのではないか。「パパ、マヨネーズ、もっと!」というので、「駄目!マヨネーズ食べ過ぎ、もう終わり!!」と突っぱねる。さすが三女、「ふん、やっぱりね」という顔をして、アイスクリームのコーンを食べるがごとく残りの唐揚げを詰め込み、退席。

14:00 エントリー

明日のレースの最終エントリーに行かねばならない。ゼッケンを始めとする装備品を受け取るためだ。遅れると混み合うし、明日は午前3時頃起きねばならないので、用事は早めに済ませたい。エントリー会場は、当日のスタート/ゴール会場でもある、下地体育館。うちから20km。軽トラに乗って、明日のラスト20kmのコースをトレースしながら会場へ向かう。BGMは中島みゆき。

♪年を取るのは素敵なことです、そうじゃないですか
♪忘れっぽいのは素敵なことです、そうじゃないですか

軽トラ運転席の垂直な背もたれ、1月とは思えぬ日差し、中島みゆきの湿っぽい歌が、奇妙に調和して、心に染み込んでくる。あと24時間もすれば、結論が出ている。この最後の20km、明日の自分はどう走っているのだろうか。7回目の挑戦。有頂天も経験した。地獄も見た。このあたりに差し掛かるころには、レースとしては9割決まっている。宮古で鬼坂とも称されるこの20km。ここを颯爽と駆け抜ける輝ける自分と、壊れた脚を引きずりながら一歩一歩に悶つつもゴールに向かう自分。レースのことを多く考えると、あまりに多くの期待と恐怖が去来し、それがしんどいので、無心に軽トラを運転することにする。

会場はすでに多くの選手がエントリーに集まっていた。思ったより待たされる。僕の感覚では、この大会は年々予算を削られている気がする。スタッフの数が減り、ガイドブックが薄くなった。以前は2セット配られていたゼッケンも(途中で着替える選手への配慮)、1セットになった。残念ながら宮古島行政は、土木工事と外国人誘致に夢中で、それ以外の「カネにならない」ことは、どんどん削減したいようだ。

例年なら、このエントリー会場で、知り合いを探して声をかけたりするところだが、今年はそういう気分にならず、早々に退散した。知り合いに会って、そういう気分でもないのに軽口を叩いたり、レースの抱負云々を語ったりする自分を見たくなかったのだ。静かにしておこう。この1年、たぶん自分は、少なくともこの宮古島では、他の誰よりもこのレースのために練習を重ねたはずだ。そういう自負がある。余計なおしゃべりは、それこそ蛇足というものではないか。イヤでも結果は出る。あと24時間経てば。そしてふと思った。ああ、受験生みたいだな、と。やるべきことをやってきた自負はある。いや、この日のためにやってきたのだ!だが、この自分の1年を、合か否かで一刀両断されてしまうことの恐怖・・・。あの炎天下のインターバルも、雨の中の60km走も、痛みを逃す創意工夫のあれこれも、「否」の一字で灰燼に帰すのであろうか。そうかもしれぬ。そうではないかもしれぬ。どうでもいいから、早くスタートのピストルを鳴らしてほしい。そうすれば、考えるのをやめて走るだけだから・・・

15:30 支度

帰宅したらさっさと明日の持ち物を揃える。トライアスロンには比べるべくもないが、フルマラソンよりはかなり荷物が多い。この中の半分くらいは、「使わないつもり」のものだ。100kmマラソンではたいてい、50kmあたりの中間エイドステーションに、荷物を送ることができる。着替えや予備シューズ、お気に入りの補給食や応急処置セットなど、選手ごとに中身を工夫する。僕は今回、この中間エイドを飛ばすつもりなので、ここに送る荷物は、敗戦処理の保険ということになる。たとえレース計画が破綻しても、リタイアするつもりはないからだ。そこには、防寒着や雨具、ワセリンなどが含まれる。これを使う事態になりませんように。。と思いながら袋に詰める。

16:00 ブログとビール

いよいよ憂鬱な一日も終わりが近い。明日は3時頃には起きたいので、今日は19時頃には床につきたい。どうせ眠れない、というか、レース前日に熟睡できた試しなどないのだが。昔は、レース前3日間は断酒!!なんてやっていたが、それもまた気負いにつながるので、やめた。特にウルトラでは、前半50kmを「かったるいくらいに」セーブするのが、ベストレースへの秘訣だと思う。走り出しから絶好調、ってのは、終盤に地獄行きだったりするのだ。だからもう、レース前といえど、自分の中の許容範囲内で、テキトーに過ごす。さすがにアルコールで消耗するのは間抜けなので、ビール4本までにしておこうとは思う。どちらにしても熟睡はできないだろうし、夢を見るとしたら悪い夢だ。だが僕ももう初心者ではないので、大丈夫。不眠でも100kmは走れるということをすでに理解しているから。

さてさて、書き終えて読み返してみても、正気か狂気かよくわからないモノになってしまった。まぁいいや、同じことさ。色即是空。
ではまたレースレポートで。