ども。さっしーです。
10月のさんさーら、今年は結構繁盛しており、それなりに日々忙しく過ごしている。
いや、忙しいという言葉は嫌いだな。
充実しているとしておこう。

もちろん、トップシーズンの7~8月に比べれば、のんびりしたものなのだが、面白いゲストさんが多く、ついつい遅くまで話し込んでしまう。
結果、睡眠時間を圧迫して、忙しく感じるのだと思う。
この「面白い」というのは、話しているともっと話したくなり、会話が一方通行でなく、ウマが合うように感じる、、というようなことかな。
で、秋になるとそういうゲストさんが増えるのかというと、多分違う。
トップシーズンは物理的に手一杯で、そういう人がいても、面白さに気づかずにスルーしてしまった可能性が高い。
・・・なんともったいない。
やはり「忙しさ」というのは有害なのだ。

「面白い人」と話していると、自分自身の一面にふと気付かされるときがある。
(話題が興味深いのはもちろんだが)
自分の言葉を耳で聞いて、「そうか、俺はこんなふうに考えてたのか」と。
また、自分自身の引き出しの多さにも我ながら感心したりする。
おおよその話題にはついていけるし、それを楽しめるし、全然知らないジャンルの話は、素直に聞き手として楽しめる。
ただし、芸能・テレビ関連と血液型関連はムリ。
興味が皆無で、嫌悪しているくらいなので。
思えば、大学卒業以来、常識やレールとは無縁の15年だったからなぁ。
無計画なアメリカ留学と山のような失敗談、就職して4ヶ月で退職、起業して法人化してウハウハのときもあったが飽きて廃業、マンション購入と売却、沖縄移住に民宿開業、ウルトラマラソンにトライアスロン・・・
(当然その間、鬱や不眠は数知れず・・・いや、不眠は今でもかw)

自分を今の自分足らしめているのはこうした数々の経験(主に失敗)だが、その根底には「ヒマ」と「孤独」があったように思う。
子供の頃から僕は、人に「やれ」と言われたことに対して、拒絶反応を示すタイプだった。
やることが楽しいかどうかの前に、命令されることが不愉快なんだろうな。
まったく、社会不適合だw
結果、世間一般で言うところの「忙しい」をほとんど知らずに生きてきた。
だって、自分で始めたこと、自分で決めたことは、自分の責任でやめられるんだから、忙しいなんてボヤく意味がない。
イヤならやめれば?で終わり。
寝る間も惜しんで没頭しているのなら、それは「忙しい」じゃなくて「楽しくて仕方ない」だ。
で、そういうヤツって結構少ない。
勉強にせよ部活にせよ、就職活動にせよ仕事にせよ、場合によっては人付き合いや趣味ですら、「誰かのために」やるひとが多いからだ。
あるいは、無言の圧力に従って、か。
だから、僕はヒマで孤独だったw

ヒマはこじらせると「退屈」になる。
孤独はこじらせると「関係依存症」になる。
セットになると、アル中、シャブ中、自殺、と、ろくなことがない。
だが、ヒマも孤独も、上手に扱えば、宝の山にもなるのだ。
例えば、船から海に落ちれば溺れるかもしれないが、海がなければ釣りも航海も楽しむことができない・・という感じだろうか。
孤独だから、自分で自分を楽しませる必要がある。
ヒマだから、アイデアを練って、それを実行することができる。
それがこの15年であり、今の自分を作ったものであり、僕はこの人生をわりと気に入っているのである。

不幸なことに、この国では、「ヒマジン」とか「ボッチ」とかいうのは、大抵ひとを侮蔑する表現である。
日本は巨大な蟻塚だ。
個性を殺し、先行者のオシリを追いかけることが美徳とされるようだ。
まったく、想像しただけで息が詰まる。

じきに僕も40歳。
なかなか実りある30代だったかな。
これからも忙しくならないように気をつけていこう。