イジメ、学校、親・・・

最近2件ほど、いじめの問題について考える機会があったので、所見を書いてみたい。
「いじめはイケナイ」とか、そういうありきたりな話はそこら中に転がっているのでいいとして、僕が言いたいのは、心理的盲点についてだ。
盲点というのは、自分では気づけない、あるいは気づくのがとても難しいからやっかいだ。
その上、SNSの普及によって、重大な盲点を含んだ感情的な投稿が、そのまま拡散されてしまったりする。
投稿者にもそれに共感、拡散する人たちにもまったく悪意がないのが逆にやっかいで、下手に盲点を指摘するコメントを書いたりすると、誤解されるだけでなく、「アンチ」と勘違いされて攻撃されたりしかねない。
あくまでも僕の独り言としてブログに書いてみることにした。

前置きが長くなった。

◇例題1◇
SNSへの投稿より、要点を箇条書きで。
○投稿者(母親)の子供が学校で酷いイジメにあって不登校になっている。
○子供は、加害者の子供と先生を名指ししている。自殺未遂もあった。
○母親は学校、教育委員会に早急な対応を求めるが、全く誠意ある対応をしてもらえないどころか、問題をもみ消そうとしているようだ。
○新学期に勇気を出して登校するが、やはりイジメは解消されずに再び不登校に。
○学校側は、短期間登校したことは成績には考慮しないと宣告。

多少乱暴に要約したが、特定の問題を扱いたいわけではないので。

この母親は、問題の根幹は学校と加害者児童にあり、学校側と教育委員会で対処するのが最善だと考えていると思われる。
だが、果たしてそうだろうか。
もちろん、問題の発端はイジメ加害者なのは間違いない。
だが、「対策」は家庭が第一だ。
蹂躙されて自分の存在意義を見失ってしまった子供に、もう一度希望を与えることだ。

「そんな学校、いかなくていいからね。
あなたは私の大切な子。
代わりの学校はたくさんあるけど、あなたは一人しかいない。
気持ちが落ち着くまで、気が済むまで、一緒にいてあげるから、怖がらなくていいよ。
元気が出て、また学校に興味が出たら、他の学校にでも転校しましょう。
あの学校には二度と戻らなくていいんだよ。」

子供はこういう言葉をかけて欲しいのだ。
学校は監獄になってしまった。
公開処刑場だ。
中にいるのは敵と猛獣ばかり。
安全を約束してあげる、と敵がいったからといって、処刑場に子供を送り返す??
違うでしょう。

母親は、学校や社会は公正であるべきだ、あって当然だ、と思っているのかもしれない。
その前提が盲点を作る。
社会は公正ではない。
社会のルールやモラルは、「全体の総合利益」を守るために存在しているだけで、個人や弱者を守るようにはできていない。
正確には「全体の総合利益」のためには、ある程度、個人や弱者も保護するのが望ましいというべきか。
なんにせよ、「困ったら助けてもらえる」とは思わない方が良い。

この母親も間接的被害者だ。決して非を責めるつもりはない。
が、子供を助けるのは自分しかいないという意識がなければ、最悪の事態もありうると思う。

◇例題2◇
PTAの研修会でのこと。
素晴らしい公演だったのだが、内容を書くとすごく長くなるので、僕が違和感を感じたことについてだけ。
そのパネリストは、自身の中学生時代に体験したこと・・・・
○不良グループによる、壮絶な暴力と、金銭巻き上げの日々
○親にも先生にも相談できない苦しみ
○自分が上級生になってからはいじめる側に回り、されたのと同じ事をしたこと
○それに嫌気がさして、不良グループを脱退したこと
などを話した。

僕が違和感を感じたのは、公演の内容ではなく、客席から幾度となく笑いが漏れることだった。
笑う内容か???
たしかに、パネリスト氏のユーモアのある語り口は、聞き手の気持ちを軽くしてくれる。
軽い冗談に対して、軽い笑いで応えるのは、話し手に対する配慮もあるかもしれない。
とはいえ、パネリスト氏は「自殺も考えた」とまでいっているのに、よく笑えるな。
もしこれが「大震災被災者の体験談」だったとしたら、同じくらいユーモアを交えて話したとしても笑えるか???

僕は最初、「笑った人たちは、イジメの問題を軽視しているのだろう」と思った。
だが、考えるうちに、それも違う気がしてきた。
この公演はそもそも有志参加だし、その上たくさんある公演の中から、興味のある内容を選んで受講しているのだ。
そんな人たちがイジメを軽視しているとも思えない。

結局、僕がひとつの仮説として考えたのは次のようなものだ。
みんな、笑って誤魔化している。
イジメ被害者だった人は、大人になってからもそれを忘れない。
心の傷が完全に癒えることはなく、「大人になったんだから」「ずっと昔のことだから」と、自分自身に折り合いをつけている。
加害者だった人も、一部を除けば、おおよそマトモな社会人になっている。
自分が加害者としてイジメに関わった過去は、良心に大きな影を落とす。
「昔はワルだったけどさ」「やんちゃな年頃ってやつ?」「俺だけが悪いんじゃないよね」
みたいにして、同じく自分自身に折り合いを付けている。
傍観者だった人たちにも、ぬぐいきれない罪悪感を残している人が多いはずだ。

みんな大人になって、子供のいじめ問題に向き合おうとしているが、自分のいじめ問題は過去のこと・・・済んだことにしておきたい。
だが、本当に済んだこと、今は客観的に問題を見つめられるのなら・・・深刻な話の最中に笑いが漏れることはないはずだ。
イジメによる負の遺産は、生涯消えないのかも知れない。

さて、つらつらと思うところを書いてみたが、ではどうすればイジメはなくなるのか、などと問われても困る。
そんなアイデアがあるなら最初に書いている。
もし、これを読んでくれた人に一つ提案するとすれば、「逃げ場所を作ってやってほしい」だ。
社会は不平等で不公平な修羅場であり、学校はその縮図だ。
イジメがなくなるなんて、戦争がなくなるのと同様にあり得ない。
1000年後にも人類が滅びていなかったとしたら、やはりイジメも滅びていないだろう。
(イジメをなくしたいという思いが大切で尊いことは言うまでもないが。)
大切なのはドロップアウトする自由ではないのか。
社会からドロップアウトすると「食っていけるかどうか」という問題が出てくるが、学校は違う。
そんなときこそ、親が守ってやるべきじゃないのか。
親の真価は、おもちゃを買ってやることでも学費を出してやることでもない。
子供が社会的困難にぶつかったとき、受け皿になってやること。だと思う。

つい最後まで真剣に書いてしまった。
申し訳ない。


2 Comments

  1. いい文章を読ませてもらったよ。ありがとう。
    いじめにしてもその他の理由にしても、子どもが不登校になったとして、少しでもいいから本当は学校には行きたいんだって思うなら、親として教室でなくても、短い時間でも学校に行けるようにサポートしてあげたいし、学校には行きたくないって思うなら家や他の居場所にいられるようにサポートしてあげたい。
    その親子の思いを学校と共有して、家庭と学校で同じ動きをとらなくちゃなぁ、と思う。学校評価で「学校に求めることは何もありません」と糾弾されるとすごく寂しい気持ちになる。
    あ、真面目に書いてしまった!これでも2児の母と学校関係者なので(笑)

    • SAT

      01/30/2016 at 6:51 PM

      マジレスありがとう(笑
      読んでもらって感じてると思うけど、僕の考えには「利害抜きで子供のために何でもしてあげたいと思っている学校関係者」って抜けてるんだよねー。
      申し訳ない。
      そういう先生がいないと思ってるわけじゃない。
      でも、自分の子供時代の経験からか、浮かんでこなくて・・・
      大人になってからは、親の立場で「この先生はホントに頼れそうだな」と思うこともあるよ。
      でも、子供時代に、先生が心の支えになってくれたことは一度も無かったらしい。
      モノ書きとしては、客観的になりきれてないって意味で問題かも・・・

      不登校の子供が学校に戻るのが良いか悪いかは置いといて、子供のことを真剣に考えてくれる先生はたくさんいてほしいね。
      そしてそういう先生が高く評価される学校だったらなおいいね。

      蛇足だけど、僕は悲観主義者じゃないよ、ただの世捨て人♪♪

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