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遅くなりました

宮古島の繁忙期がほぼ終わった。
さんさーらも一年目から予想以上に繁盛したものだ。
台風が極端に少ない年だったこともあり、6月半ばから9月半ばまで休み無しの状態。
そんな中でも、ある意味根性で練習メニューを消化してきたのだが・・・

本業(?)のマラソンの方がいよいよシーズンインとなって今更気づく。

俺、おっそ!!!!
真夏の苦労は無駄だったわけ????

昨シーズンの練習データと比較しても、どうにも言い訳できないくらい遅い。
時計、壊れてない??って思うくらい遅い。

夏の間はダッシュ系の練習ばかりしていた。
>ロング走は時間がかかるので、仕事の合間の時間を使いにくいこと
>前年の夏は逆にロングばかりやってたけど、レース結果には結びつかなかったこと
>自分に足りないのはスピードだと考えて、短時間高強度のメニューが重要と判断したこと

一応自分なりに考えた上での作戦だったのだが・・・

気づくのが遅かったのが何より悔やまれる。
GPSウォッチが調子悪かったのと、心拍計買ったのが重なって、心拍数ばかり気にして、タイムを見てなかった。
そして久々にタイム計測して愕然。

果たしてあのダッシュの日々は無意味だったのか。
けっこーしんどかったんだけどな。
けっこーがんばったんだけどな。

「走るライフスタイルが好きなんであって、レースはただの祭り」
とかいつも言ってる割に、けっこー落ち込んでる自分って全然禅的じゃねぇな。

まぁいいさ。
レースはまだこれから。
結果はまだ未定。
今年の成績が最悪でも、来年も走り続ける自由はあるわけだし。
せいぜい気張るとしましょう。


再考してみる

久しぶりにちょっと走り書きしてみようと思う。

ここしばらく、このブログを書く意義を見いだせなかった。
まあ今でも見いだせたわけではないのだが。
ただ、書くということが僕にとってある種の発散となることは確かに思える。
以前ここで書いたかも知れないが、穴の中に「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶアレに近い・・・と思っていた。
だが、ここがweb上である以上、その穴はあらゆる世界、あらゆる人間に通じていて、穴の中に叫んでいるつもりなのは本人ばかり、実際には街宣車で叫んでいるのと大差ないのかもしれない。

秘密にしたいことなら書かない方がよい。
みんなに知って欲しいことなど、僕にはない。
職業的に公示したいことなら、オフィシャルブログに書くし。

たしかに、人に読んでもらってのフィードバックを期待していたところはある。
面白かったよー、と言ってもらえるのは確かに嬉しいのだが、同時にコメントへの返信が億劫でもある。
そして、読者側を意識して「面白いものを書かなきゃ」と思うようになる。
フィードバックが少ないとがっかりする。
ふと思った。
なんだか、構ってちゃんだなー、自分。
もういいよね、そーゆーの。
世捨て人だし。サンニャーシンだし。

個人としてのFBはやめた。
アカウントは残してある。
アカウントまで削除すると、相当数の人たちと連絡不能になってしまうから。
共有電話帳みたいなものだしね。
だからメッセンジャーは受け取れるけど、タイムラインや友達申請やコメントなんかはもう僕の端末には届かないことになってる。
このブログ更新も、ひっそり勝手にという方向だ。
誰も見なくてもいい。
でも見られてもいい。
耳を澄ませば聞こえる独り言・・・くらいの感じでいこう。

次回更新はもちろん未定。
もしもコメント、質問があれば、直接連絡くださいませww


部活出身者

こうして本格的におっさんスポーツをやってると、よく聞かれることがある。
「学生時代からスポーツやってるんですよね?」
つまり、部活でガンガンやってたんでしょ、って意味だ。

まぁ中にはそういう人もいるだろうし、トップアスリートになると比較的多いのかもしれない。
でも、アマチュア上級レベルまでで言うなら、「いい歳になってからはじめた」派が大多数だろう。
僕もマラソンを始めたのは31才の時だ。
今回はそんなことをちょっと考えてみたい。
便宜上、学生時代から部活で鍛えてきた人を部活マン、運動部に所属することなく学生時代を過ごし、いい歳になってからスポーツを始めた人をオッサンアスリートと呼ぼう。
結論から先に言うと、僕は部活マンの方が社会人スポーツでは伸び悩むと思っている。
以下、考察。

まず、部活という状況を整理してみよう。
1)衣食住の世話は親がしてくれる
2)勉強との両立が必要
3)コーチや仲間が用意されている
4)2~3年間の短期決戦
5)レギュラーの座を獲得できなければ、活躍の場はない
6)成長期

では、オッサンアスリートは?
1)生活は自分で維持
2)仕事との両立が必要
3)基本的に一人。チームやレッスンに通うのも選択肢
4)人によっては数十年の超長期戦
5)どんなに遅くてもレースには出られる
6)身体能力(ポテンシャル)は下降線

まぁほとんどの項目で対照的なわけだ。
ただし、どちらにも例外はいるもので、家事とバイトと勉強と部活を全部こなす子供もいれば、40才になっても親に面倒見てもらいながらマイペースでスポーツしてるオッサンもいるだろう。
例外は例外なので、ここでは無視する。
部活って恵まれてるよね-。
だって、好きなスポーツで目一杯努力すればそれだけでいいんだから。
生活の心配も家族との折り合いもいらないし、練習メニューはコーチが作ってくれる。
(コーチが無能だったら悲劇だけどw)
まるでプロ選手じゃないか。

だからこそ、多くの部活マンは社会人スポーツでうまくやれない。
学生時代のようにスポーツに打ち込めないのを環境のせいにしてしまう。
学生時代の輝いていた自分が、もう二度と超えられない壁のようになってしまう。

オッサンアスリートは逆だ。
スポーツに打ち込む環境なんて、最初からなかった。
自分で練習時間を捻出し、メニューを考え、食事を考え、妻の機嫌を取りながらコツコツと積み上げる。
(競技人生は長いのでコツコツやれる)
レースに出てみて、どんなに遅くても、前回よりほんの少し速くなっていたのなら、それで満足できる。
スポーツにおいて、今の自分が一番輝いているからだ。

ん?なんか書いてるうちに、部活マンをこき下ろすような文章になってしまったか??
まあとにかく、部活出身ということは、元プロと似たようなものなのだ。
本当のプロになれなかった以上、アマチュアでやっていくことになるのだ。
過去が重くて大変だろうと思う。

スポーツの経験が無く、飲酒喫煙賭博過食ぐーたら運動不足が習慣になってしまい、すでに30才40才を迎えてしまったというあなた。
あなたこそ、オッサンアスリートとして輝くチャンスがあるのだ。
マイペースで少しずつ走る。
身体をいたわりながら。
それを続ければ、これから何十年、「今の自分が最高」になれる。
スタート地点が低いということは、恵みなのだ。

え?僕?
僕は部活マンじゃないけど・・・断続的な運動の経験は多少・・・
まぁそのうち気が向いたらそんなことも書きますw


競技志向vs祭り志向

他人の議論に首を突っ込むのがキライなので、思うところをここに書いてみることにした。

宮古島トライアスロン地元勢の中で、どうも価値観が割れているようだ。
完走なりタイムなり順位なり、目標を立てて練習に取り組み、本番に臨む選手。
今年こそ完走!!(・・・できたらいいなw)、大会には絶対出たいけど、練習は好きじゃない選手。
ここでは前者を競技志向、後者を祭り志向と呼ぶことにしよう。

もし議論すれば、実績を残している競技志向の選手に対して、祭り志向の選手が反論するのは難しいだろう。
「は?エラソーなこと言う前に練習すれば!?」
でおしまいww
トライアスロンが競技である以上、まぁ仕方あるまい。

でももしこれが那覇マラソンだったらどうだろうか。
僕も一度だけ出たことがあるが、あれは祭りの側面が強い。
上位陣はもちろんガチだが、後ろ半分は完走で上出来、最初から「目標30km!」とか言ってる選手も少なくない。
僕もそこまでいくと、「完走できなくてもいいけど、せめて完走を目指せよ!」とか思ってしまうが、大会のコンセプトとしてはOKなのだ。
「太陽と海とジョガーの祭典」
そう、祭典だから。
3万人も集まる祭りだから。
その祭りムードこそが那覇マラソンの魅力だから。
毎年30kmでリタイアするオバちゃんが、「今年で10回目です(はーと)」とかインタビューに答えててもよいのだ。

宮古島トライアスロンも、運営側は那覇マラソンと似たような意識なんだと思う。
「敗者のいないレース」
「挑戦することに意味がある」
なんて言われるくらいだし。
競技者目線で言えば、目標を達成できなきゃ敗者だし、リタイアしたら挑戦した意味なんて無い!
ってとこだ。

ただ今回の話の場合、「地元勢」ということが大きな違いだと思う。
宮古島トライアスロンは定員の二倍くらいの応募があるため、エントリーしても落選することが多い。
地元勢もそれは同じ。
この小さな島で、トライアスリート同士はみんな、知り合いか、知り合いの知り合いくらいでつながっている。
つまるところ、「完走もできないなんて、落選した○○クンに申し訳ないと思わないのか」的な心理が働いているのは確かだと思う。
まして地の利のある地元大会。
冬の間、海スイムはもちろん、バイク練もほとんどできない北方の選手たちもたくさん参加するのだ。
たしかに「地元の意地」は見せたいところだ。

僕の家庭内でもこの争いはあった。
(現在休戦中w)
僕は競技志向、YOMEは祭り志向。
「おい、那覇マラソン当選したんだぞ、ちょっとは練習しろよ。リタイアとか許さんぞ」
「わかってるよ、でも忙しいんだからしょうがないでしょ!完走くらいできるようにするわよ!」
みたいなwww
僕にはYOMEの考えが意味不明すぎた。
そんなに練習したくないのに、なぜエントリーするのか???
が、後に関係ない世間話からマラソンの話になったときに、ふっとわかった。
彼女は祭りに参加したいだけなのだ!!
祭りのムードと高揚感の中に身を置くことが第一であり、完走することはその次なのだ。
タイムとか順位なんてどうでもよい。
(後ろから数えた方が早い順位に興味を持てないのは理解できる)

YOMEのことがわかって、同時にわかったことがある。
マラソンをはじめ、こういう市民参加型スポーツの基盤を支えているのは、祭り志向の選手たちだということだ。
稀に初心者のうちから競技志向の選手はいるが、多くは最初のうち、祭り志向だ。
僕自身もそう。
「俺って意外と走れる??」って感じたとき、突然変異を起こして競技志向になったりするのだ。
全く運動の経験が無い成人が、
「僕には42.195kmを4時間で走る潜在能力がある。今日からそれを開花させるために練習を始める!!」
とか言い出したら・・・いやそういう人も実際いるかもしれないけど、まぁ例外中の例外じゃないだろうか。
みんな最初は、
「毎日走れば、1年後にフルマラソン完走できるかもしれない、できたらいいな」
とか言って始めるのだ。
そしてその多くは、ずっと競技志向に変異することなく過ごすのだ。
彼らなくして、市民参加型スポーツは存続できない。

ま、それもまた理屈であって、宮古島ローカルの感情の話となると、また別なんだけどね。
僕は自分が人より速くなれればそれだけでいいのでw


断酒論.02 ~僕がMECをやめた理由~

去年の今頃はMEC食をやっていたのだが、断酒後しばらくしてやめた。

MEC食は、肉、卵、チーズなどのタンパク質を中心に摂り、糖質を極力避けるという食事法。
糖質制限食の一種と言ってもいいと思う。
曰く、糖質は人間の身体に必須の栄養素ではなく、血糖値を乱高下させるだけ。
エネルギーは脂質でまかなえるし、脳に必要なブドウ糖は、脂質の代謝過程で生まれるケトン体で代用できる、という理屈だ。

実際にやってみると、最初の数週間は空腹感に苛まれるが、それに慣れてしまえば平気になる。
脂質、タンパク質はたっぷり食べてよいので、食べること自体はガマンしなくていい。
お酒も、ノンカロリー(一部のビールや蒸留酒など)はOK。
走っていても、低血糖によるハンガーノックを起こさなくなる。
※「糖新生」による筋肉破壊の可能性については不明、要検証※

いいことずくめに思えたMEC食だが、意外なところに落とし穴があった。
「飲まなきゃやってられん」のだ。

アルコールを断ってしばらくして気づいた。
糖質を制限することによる空腹感を紛らすのに、アルコールに頼っていたのだ。
人間の満腹中枢は、糖質にしか反応しない。
肉や卵だけを「もう食べられない」というくらい食べても、満足感がない。
ああ満腹、という幸福感がない。
だがアルコールを摂れば別だ。
アルコールが神経を麻痺させるのは周知の事実であり、おそらく満腹中枢もなんとなく鈍くなるのだろう。
断酒後しばらくの間は、少しずつ糖質を増やしながらも、なんとかMEC食を諦めずにぶらさがっていた。
だがなんとも耐えがたい。
断酒は辛くなかったが、断酒&糖質制限は拷問のようだった。
MECのメリットを苦痛が上回ったと感じたとき、やめることにした。

こういう言い方をすると酒好きの方々は眉をひそめるだろうが、アルコールは紛れもない毒物だ。
(飲むことはもちろん自由だが、有害であることを認識しておいて損はないだろう)
魔法の食事法のように思えたMEC食だが、毒物に頼らなければ続けられないとは!!
MEC食が本当に人間という種にとって正しい食事法だとしたら、満腹中枢の存在は「神様のマチガイ」ということになる。
食べるべきものを食べて満足できないのは自然の摂理に反するではないか。

まぁもちろん、自然の摂理に逆らおうが、毒物薬物に頼ろうが、アスリートとしてのパフォーマンスを高められるのならば一向に構わん、という理屈もアリだ。
人に勝るためには相応の対価が必要なのだ。
それを非難したり揶揄したりする気はない。
ただ一言だけ、禅的ではない、とだけ言っておこう(笑

今はタンパク質を特盛り、ご飯を大盛、という感じの食事をしている。
食事量としては自分の20才前後くらいだろうか。
タンパク質の量だけなら、今の方がかなり多い。
もちろん、同世代の一般人が引くくらいの運動はしている。
体調はすこぶる良い。
パフォーマンスの変化は、来シーズンの結果を待つことにする。


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