僕自身、「アスリート」を自称するようになったのはいつごろだろうか。
うーん、100kmマラソンを完走したあたりかもしれない。
「市民ランナー」のラインは越えたな、と・・・w
まぁ、アスリートなんて言葉には厳密な定義があるわけでもなく、
人によっては「オリンピックレベルの選手だけがアスリートだ」とも言うし、
一方では「自分の意思で競技、武道をやる人間は誰もがアスリートだ」とも言う。
結局の所、自分でそう名乗って恥ずかしくないか、なのかもしれない。

ともあれ、自分がなんかいっぱしのアスリートになったような気分にはなってみても、宮古でもFBでも、そこかしこに遥か先をいく先輩アスリートたちがゴロゴロいるのが現状だ。
うむ。先輩・・・なんて、謙遜して言ってるだけで、ホントは、でっかいハードル、くらいに思ってるw
たとえ追いついたとしても、彼らはそのときさらに先に行ってる可能性が高い。
越えられないかもしれない壁。
自分の前を走ってる選手には、リスペクトと同時に、ライバル的な敵意も持っているのだろう。

我ながら、なんとも傲慢で、我の強い物言いだと思う。
ちょっとうんざりするくらいww
だが、最近思うのだ。
自分より前を走っているアスリートたちは、みんな強烈な自我を持っているのではないだろうか。

みんな大人なので、他人がトレーニングやらロジックやらの話をしているときには、黙って耳を傾ける。
だが「じゃあ明日からやってみます^^」的な反応をする選手は少ない。
少なくともあるレベル以上では。
「なるほど、それは面白い。いい情報をありがとう。」
といった感じだ。
つまり、自分のセオリーが絶対であって、他人からの情報はそれを補完するモノだと思っているように感じるのだ。
僕は彼らが、その「いい情報」を自分のトレーニングに組み込んだのか、試すことなくゴミ箱に捨てたのかは知らない。
だが、この情報化社会で、「いい情報」をすべて実践している時間なんて、誰にもないことは確かだ。
情報至上主義でやっていくと、じきに、シューズやウェアやサプリメントや実践する時間の無いメソッドで生き埋めになり、アスリートというよりもコレクターの道を歩むことになるはず。

一流アスリートは、それぞれ自分だけの特製トレーニングやら食事法やらレースの必勝パターンやらを持っている。
が、それは他の一流アスリートとは全く別のモノだったり、むしろ矛盾していたりもする。

結論を言おう。
つまり、勝つために第一に必要なのは、あらゆるメソッドよりも、精神構造なのではないだろうか。
誤解されると困るので断るが、決して根性論ではない。
言うならば、成功体験の繰り返しにより作られた精神構造。
レースでライバルに勝った。
タイムトライアルで自己ベストを更新した。
ウルトラマラソンを歩かずに完走した・・・
なんでもいい。
昨日できなかったことができた!
やった!俺のトレーニングは間違ってなかった!!
オレスゲーー!!

この体験が人を急成長させるのではないだろうか。
強い選手のほとんどが強い我を持っていることとも矛盾しない。

スポーツに限ったことではなく、勉強であれ、ゲームであれ、芸術であれ、やればやるほど右肩上がりで伸びる時期というものがあると思う。
こういうときは、成功体験を一気に山積みするチャンスだ。
自分だけの世界で、どんどん体験を重ねればよい。
二次曲線的に実力が伸び、反面、自我が強くなって、少々扱いにくい人物になるかもしれないww

ん?じゃあ他人の助言や、情報収集は無用なのかって??
逆のパターン、壁にぶつかって、何をやっても伸びない時期に、きっと必要になるでしょうw
ただ、それについてはまたいつか。
僕は今のところ好調期なので♪♪