ども。sassyです。今日は「波」について書いてみたいと思います。

 最近・・・正確には、ここ数ヶ月、いい波が来ている気がする。いや、海の話じゃなくて・・・誤解を恐れずいえば、「運勢」というのが近いだろうか。例えば今日もこんなことがあった。マナが昼前に子供を連れてでかけたいというので、仕事との兼ね合いで、いつもより自分のランニング時間を早めた。ランニングに出てみると、雨上がりで、道の一部にぬかるみができていた。旅行者のサイクリングファミリーがそのぬかるみで転倒して、怪我はないものの、泥まみれになって困っていた。こういうのも縁だと思い、うちに寄ってドロだけでも落としていくように勧めたところ、大変感謝された。話してみてわかったのだが、その家族はうちの母(名古屋)の知り合いであった。うむ。まるで宝くじに当たったようだ。何か得したわけじゃないが、ものすごく得した気分だw

 こういう、短期的に見れば損とも得とも言えない、気持ちの良い「偶然」が、よく起きている。こういうときは概して、人生のバイオリズム(?)が上向きのときだ。サーフィンで言えば(やったことないけど)、良い波が来ているということだと思う。ここで言う波というのは、つまるところ「運の波」だ。

 「運なんて存在しないよ、オカルトだ。ある人がある出来事に遭遇したとして、それを幸運と取るか不運と取るか、それはその人次第だよ。万事塞翁が馬というじゃないか。幸運続きの人生だと思ってる人は、少々おめでたい性格なだけさ」
 「だからね、運は客観的には測れないから、ある個人の主観に基づいて考えるわけだよ。ある人にとって幸運か不運か。そうすれば、それはコイントスの表裏みたいなものでしょ。そして、確率は超長期的には収束するわけだけど、短期的には大きな偏りが生まれることが多いでしょ。だから運勢は存在するのさ」

 うん・・まぁこういう脳内議論は一通りやったかなw もともと理系タイプで、博打好きだった僕は、運というものについて、嫌というほど考えてきた。麻雀でいい手が入ったが、先行リーチを受けてしまった、押すか引くか・・・。パチスロで大当たりが3連チャンした。続けるべきか、やめるべきか。基本的な技術、知識、経験が揃っていなければ話にならないが、最終的には直感でエイヤーと決めるしかなくなり、その結果を次の決断にフィードバックして行くことになる。何にせよ、若い頃は、「運は引き寄せるもの、コントロールするもの」という発想が根底にあった気がする。

 不惑の年になって思う。「良いものは向こうからやってくる」。逆境の中でジタバタして血路を開いたことだって、あるにはある。それは自分の人生への自信になったかもしれないが、あのときもしも、カメになって嵐をやり過ごしていたらどうなったか、それは誰にもわからない。ジタバタして開いた血路は、「最悪」を「ややマシ」に変えた程度である。これまでの人生で何度かあった、絶好調!無敵状態!ってコンディションは、自分で作り出したわけではなく、やってくるいい波にいくつか続けて「乗れた」結果だったように思う。

 「来る者は拒まず、去る者は追わず」は、運との付き合い方において、正解に思う。どれほど一流のサーファーでも、波を起こすことはできない。技術を磨き、期待値の高いポイントに行って、あとは待つのみだ。波が来ないからといって、やみくもに沖に出ていったりしては、事故を招くだけだろう。良い波が来たら存分に乗って、悪い波は静かにやり過ごし、ベタ凪のときは陸に上がってビールでも飲む。次の10年はそんな感じの生き方にしたいなー、などと思う。

 ではまた。