ども。sassyです。
今日はひとりインターバル走。ポイント練習の後は、決まって例の足底筋膜炎の古傷(?)が痛む。もう治った(ことにした)怪我なので、いちいちうろたえることはないが、痛いものは痛い。我慢できないわけじゃないが、とりあえず痛み止めを飲む。痛み止めを常用している女の子たちの気持ちがちょっとだけわかるようになった今日このごろw

最近、走っているときに限って、非情に調子が良い。パフォーマンスが良いのではなく、日々成長している感じが強いのだ。ポイント練習でも、つなぎジョグでも、なにかしら新しい発見があり、新しく道がひらけていく気がする(逆に走っていないときには、ややぐったりしている・・・)。だが、ランニングに集中できていて、成長を実感できていて、楽しくて仕方がないときほど・・・どこか深淵から囁きかけてくる声がある。
「おまえはそれでいいのか。何も顧みず、自分の快楽のためだけに走り続けるだけ。走ることを追求するだけの人生。それが望みか」と。

非情に痛いところを突いてくる。心の奥の方をほんの少しずつえぐられているような気分になる。だがここは勇気を出して答えよう。”応”と!

思うに、これは、実業団選手(つまりいわゆるプロ)と市民ランナーの間に横たわる、巨大な壁ではなかろうか。仮に、プロのスポーツ選手に、「あなたはその競技に生涯を捧げますか」と尋ねたとすれば、ほとんどの回答は”応”ではなかろうか。これはそれぞれの選手が、強固な世界観を持っているというよりは、その世界に身を置く限り、自然に身につく世界観なのだと思う。彼らの世界ではそれが当たり前なだけだ。だがアマチュアの世界ではそれが逆になる。「仕事や家庭を顧みず、趣味に没頭するようでは社会人失格」。まぁ実際、アマチュアは競技からの収入がない以上、仕事を放棄したら即、生活が成立しなくなるので、この考えも間違ってはいないのだが。

でもね。人生は、人生を続けるためにあるとは思わないのだ。日銭を稼いで、生活を維持していくことが人生の目的とは思わない。好きなことに打ち込んでこその人生だ。結果として、その世界で超一流にはなれなかったとしても、好きなことに捧げた生涯というのは、悪い響きじゃない。アスファルトで行き倒れても、人から後ろ指をさされても、「俺は好きなことだけをやったんだ」と言えれば、それはアリだと思う。だから、どんなに勤勉で、家族思いで、裕福で、地位があっても、好きことがないという人生は気の毒に思う。不幸だ。自分自身がそうだったから、間違いない。

えー、ちなみに、家庭や仕事を放棄するつもりはさらさらないのでご安心くださいw 子どもたちはかわいいし、宿のオヤジという仕事はなかなか悪くない。ただ、プロの連中に、世界観からして負けたくはない、気持ちで負けたら終わり、ということで。
蛇足だが・・・今日開催された那覇マラソン(定員3万人!)、優勝した仲間選手は、宮古島マラソン連覇中の絶対王者。うーむ。宮古で優勝するだけでも、あのレベルの怪物に勝たなきゃいけないのか・・・
絶対勝つぞ・・・気持ちの上では!!

ではまた。