ども。sassyです。
怪我から復帰して約1ヶ月、ようやく調子がでてきたようである。レースまであと2ヶ月弱、うまく仕上がるかもしれない。
さて、そんなこんなで体調は上向きなのだが、しばらく気持ちはモヤモヤしていた。そのモヤモヤについて、だいぶ思考がまとまってきたので、ここらでアウトプットしてみようと思う。

事は1週間ほど前。このブログでも頻出のライバル、けんけん堂が、沖縄サバイバルラン(通称沖サバ)を完走したことがきっかけである。

沖サバは400kmを72時間以内で走るという、まるきり狂気のロードレース。けんけん堂はいずれやるだろうと思っていたが、初挑戦の今回は絶対に無理だと値踏みしていた。が、3日間に渡って速報サイトで観察していると、彼は中盤まで、まぁまぁの順位につけており、後半、大きく失速したものの、粘りに粘りきって71時間半をかけて完走した。393kmあたりのエイドステーション通過の情報を見たとき、「やりやがった!!」と呻いた。ここまで来たら、這ってでもゴールするのがウルトラランナーである。

今でこそ僕は、100kmまでのスピード勝負に賭ける!というテーマで走っているが、かつてはこの沖サバは憧れのレースであった。それをライバルが完走したということは、誇らしくもある反面、非情に複雑な感情をもたらした。心からのおめでとうを言えない自分が、ひどく惨めに思えた。おそらくは、これが嫉妬や羨望なのだろう。過去に、「アンタは男として器が小さい」と言ってくれた元友人がいたが、余計なお世話だ。そんなことは自分が一番良く知っているし、相手に直接ソレを言えちゃうアンタの「俺様マッチョ主義」の方が、僕には軽蔑に値するのだ。(だって、俺のほうが器が大きい、スゲー俺、って意味でしょ)

ただ、人から言われる以上に、自分の小ささを「実感」することは、あまり気持ちのよいことではない。いいじゃねぇか、心から祝ってやれよ、とも思ったりするのだが、自分に嘘はつけない。だが、愛でも憎しみでもないのに、これほど強い感情を持てるということは、ある意味素晴らしいことかもしれない。感情は、生きている者だけの特権だ。人生とは、感情の大波とやりあうサーフィンのようなものだと思う。僕はサーフィンの経験はないが、きっと大波の来るビーチのほうがリスクは高いが、楽しいはずだと思う。この大波に乗って、より高く翔べたら、、きっとライバルに感謝しなきゃなw

彼の沖サバ完走は、偉業である。ヤツは偉業を成し遂げた。これが2年後だったら、僕は偉業とは思わなかっただろう。小さな者が大きな敵を倒してこそ偉業なのだ。敵と同じくらい大きくなってから戦っても、それは「そこそこの達成」にしかなるまい。さぁ、今度は僕が偉業を成さねばならぬ。幸い、大きな敵には事欠かない。シーズンの終わりまでに、きっとそれを成し遂げよう。すでに闘いは始まっているのだ。

おっと。感情的になりすぎて、波に飲まれて溺れないようにしなければ。あくまでも行動は、クールにクレバーにw
ではまた。