ども。さっしーです。

昨夜寝る前に、猛烈に部屋を片付けたくなった。

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(本人の許可を得て掲載していますw)

前々から事務所の散らかり具合を見えないふりで通してきたが、いよいよ許せなくなってきた。
まぁこういう感情にはたいてい引き金になるなにかがあるわけだが、今回はこちらのブログをなんとなく見ていてのこと。
このブロガーさん、その道ではけっこう有名な方なのだが、さんさーらのゲストさんでもあるのだ。
元々は買い物大好き、部屋は散らかりまくりという普通の主婦だったらしいが、「持たない暮らし」に目覚めて依頼、ご主人も巻き込んで、非常にスマートでコンパクトな暮らしを実現したという。
内地から沖縄本島への移住の際も、引越し業者は使わず、ゆうパック(ダンボール数個)の引っ越しで済ませたというからすごい。

正直、断捨離という言葉が耳に入るようになった頃は、僕は割と斜めから見ていて、
「大量消費社会への極端な反動、一種のヒステリー」
くらいに思っていた。

だが、年月と共にひとは変わるし、物事の本質が見えるようになることもある。
自分にとって本当に必要なものはなにか。
そういうことを考えるようになった。
必要なもの、というのは、生命維持最低限という意味ではなく、自分が自分らしさを失わず、すっきり身軽に生きられるための必要十分な、という意味だ。
僕らは団塊の世代、バブル世代の子供たちなわけで、子供時代に植え付けられた価値観がある。
「大は小を兼ねる」
「中小企業より大企業」
「高給取りになれ」
「デカい家に住んで、ベンツに乗るのが勝ち組」



みたいな。
所有物は多いほど豊かだし、幸せとは欲しいものが買えることだ、とも。

でもね、実際はどうでしょ??
僕は最近、モノが多すぎると、窒息してしまう気がするだ。
もっと数学的、経済的に言うと、あらゆる所有物は、維持費を要求するのだ。
不動産や自動車は単純に税金がかかるが、余分に持っているパンツ一枚だってタダじゃない。
タンスの一角を一枚分無駄に占拠しているのだから、場所代(普通は家賃がかかる)を取っているといえる。
毎日使うものならもちろんそれは必要経費だが、たとえば結婚式の時しか使わない高級スーツがクローゼットを延々占拠していたら、コスパは最悪だ。

何が必要かを見極め、葛藤を乗り越えてモノを捨てるためのテクニックは、ここでは触れまい。
(前述のブログや、多くの書籍のように、その道のプロが教えてくれるし)
ただここでは、「持たない豊かさ」があるということだけ強調したい。
だってそうでしょう、モノを捨てれば部屋が広くなるんだから。
同じ家賃で広い部屋に住めるのなら、それはある種の豊かさだと言ってもよいと思う。
もちろん、がらんどうの部屋に住めというのではない。
生活に必要なものはすべて揃っていて、無駄がなく整頓されていて、その収納場所も自分が全て把握しているので、モノを探すという手間がないのだ。
急な来客でも、大慌てでリビングに散乱したモノをクローゼットにブルドーザー式に押し込む必要もない。
「いつでもどうぞ」だ。
おお。これぞ豊かさ!

さて、うちの事務室に話を戻そう。
さんさーらを建ててもうすぐ3年。
宿屋としてのデスクワークもだいたい要領がわかって、必要なモノ、不要なモノもわかってきた。
ここらで思い切って、理想の事務室・・・いや、おしゃれで居心地の良い書斎を目指して、セルフリフォームしてみようと思う。

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無計画に増設した収納。
空間の焼畑農法w
そして無駄な収納が、無駄なモノを呼ぶ。
思い切って収納を削減してみようと思う。

久しぶりの本気DIYになりそう。
また結果が出たら載せますので♪