断酒をはじめてから、10日くらい経った。
現時点での体調、周囲の反応、雑感など書いてみる。

体調はすこぶる良い!
酒が恋しいという感情も全く起きない。
・・・と言うと、どうせ強がりだろうと思われるのはわかっているが、それはそれ。
どう思われるかはさほど重要ではない。

今朝は朝4時に起きて、20kmほど走ってきた。
夜明けまではまだまだ時間がある、月のないの暗闇。
だが、本当に素晴らしかった!
空を埋め尽くす満点の星の明かりで、道が見えるのだ。
すごい流れ星を見た。
10cmくらい(笑)はあっただろうか、2秒くらい、夜空に光跡が残った。
あんなのは初めて見る!!
道路脇には静かにホタルが舞っている。
ひんやりした空気、風の音、海鳴り、自分の足音と鼓動・・・
間違いなく、これはアルコールから解放された恩恵だ。
なにしろこの時間、今までなら、肝臓をフル稼働させながら、悪夢と寝汗に苦しんでいたのだから。
酒を辞めたおかげで、酒よりもずっとハイになれる体験がたくさんできる。
酒飲みに戻りたいとは微塵も思わない。

今回、断酒を始めて3~4日で勝利を予感した。
今までは酒が抜けて12時間ほど経つと、耳元で誰かが囁いていた。
「さぁ、そろそろいいんじゃないか。いつものアレを、至福のひとときを始めようじゃないか!その憂鬱な気分も吹き飛ぶぜ。大丈夫、おまえの正気なんて誰も興味ないさ」
今回は、誘惑すら感じなかった。
その間に何度も飲み会に近い状況があったにも関わらず。
悪気のない誘いをやんわりと断りつつ、炭酸水やお茶を飲んで団欒に加わっていた。
苦痛も葛藤もなかった。
人のグラスにビールを注いであげるときすら、何も感じない。
耳元のアイツがいたら、絶対に不可能だった!!

そして10日近く経ったとき、予感は確信に変わり、自分がアルコールの檻から解放されたことを悟った。
耳元のアイツは、分裂した自分だったのだろう。
分裂は統合され、アイツはいなくなった。
酒に盗まれていた時間と体力とお金が、これからは自分の物だ。
長年苦しんだ不眠症も快方に向かっている。
アルコールの分解に費やされていたエネルギーの一部は、体力の回復と強化に使われるだろう。
次のレースが楽しみだ。
ただ一点だけ、謝罪せねばならない。
飲み会の約束を何件か反故にしてしまった。
(会に出ないのではなく、自分も一緒に飲む約束という意味で)
ごめんなさい。

あまりにもハッピーで爽快な気分だったので、FBに断酒成功宣言(笑)を書いた。
そして、世間では「断酒は死ぬほど辛い上に、絶対不可能な絵空事!」という信仰が想像以上に根強いことを知った。
一番多かった反応が、「1週間そこらの断酒で、成功を宣言するのは早すぎる!」という内容のコメントだ。
まぁ言いたいことはわかる。
彼らの価値観では、断酒は一度始めたら、寿命を全うするか、アル中に逆戻りするまで決着の付かない、終わりなき闘いなのだ。
最低でも年単位の話でなければ、取り合う価値もない!!

が、いささか過剰反応じゃないだろうか??
僕としては、「ラーメンなう。天下○品サイコーw」みたいなノリで投稿しただけだ。
SNSなんてそんなもんだろう???
もしそこに、「サイコーなわけねぇだろ!」とか「ラーメン厨氏ね」みたいなコメントを書く人がいるとしたら、きっとその人は、ラーメンに恨みか強いコンプレックスでも持っているに違いない。
まぁ僕自身もそうだったわけだが。
他人に対して何度か、「そんな軽いノリで断酒できるわけないしw 断酒ナメんなよ!」とか思ったことがある。
つまるところ、そういう反応をしてしまう時点で、自分自身の飲酒習慣を見つめ直した方がよいのかもしれない。

なにはともあれ、それは可能なのだ!!
努力も精神力も時間も必要としないくらいだ!
巷で鉄人と評されるトライアスリートたちまでが、それを不可能だと信じている。

必要なのは努力ではなく、理解だった。
物事を正しく理解したら、人間はそれに反する行動をする方が難しくなる。
石を石だと理解して食べる人がいるだろうか?
石を食べる人がいるとしたら、きっと石を食べ物だと誤解しているのだろう。
ではアルコールの何を理解するか?
それを書くということは、そのまま断酒を勧めていることになってしまうので自粛する。
文末に良書を紹介するので、興味がある方はこっそりAmazonで注文していただきたい。
短い本なので、僕は1日で読み終わった。

もうそろそろ、僕の断酒が成功か失敗か、可能か不可能かという話は終わりにしたい。
それよりも、向こう数十年の人生が、思っていたよりもずっと素晴らしいものになりそうでわくわくするのだ。
済んだことよりも、そっちを考えていたい。

最後に、マスターヨーダの名言から。
Try not. Do or do not.

(推薦図書)
「禁酒セラピー」アレン・カー著